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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第5部 戦場国の爪痕 イラク <3> 医師の苦悩 がん増加 救命に全力 足らぬ医療機器・薬

 午前五時。文化情報省のガイド(34)とともにホテルをたち、一九九一年の湾岸戦争で市内の多くが空爆を受けたバスラ市を目指す。バグダッドからは六百キロ南東である。

 「ハイウエーではなく、幹線道路を走ります」。生活のために小学校教師を辞め、八〇年代の大型のアメリカ車を買ってハイヤー業を営むドライバー(34)は、達者な英語で話しかけながら、イランの国境にほど近い道を取った。

湾岸戦争後増える

 ユーフラテス川沿いのハイウエーは、今も米軍機が監視飛行していて空爆の可能性があり、時には武装した追いはぎ集団が出没するという。

 途中で一度休憩を取り、「一ドル(百七円)で百リットルはつげる」というガソリンを給油。十一時すぎにはバスラ市内に入る。地方庁舎で取材手続き後、地元のガイド(48)を乗せて市内最大のサダム教育病院へ向かった。

 「湾岸戦争後はとにかく大変だね。バスラなどイラク南部では気管支や胃腸の障害など病人が増えている上に、年々がん患者が増加している。広島や長崎の被爆者と似ているのかな、とも思ったりしている」

 「腫瘍(しゅよう)病棟」の入院患者の回診を終え、部屋に戻った腫瘍学センター長のジャワッド・アル・アリさん(55)は、物静かに言った。長年英国で暮らし、八四年に帰国後、故郷のバスラの同病院で治療に当たる傍ら、教壇にも立つ。

放射線の影響疑う

 「バスラ市内の病院で死亡したがん患者は、八八年は三十四人。十年後の九八年は四百二十八人。昨年は五百人に達している。これから先を思うと…」

 アリさんの妻の家族も、義母をはじめ六人ががんを発症し、三人をみとった。最近は白血病、乳がん、悪性リンパ腫、脳腫瘍の増加に加え、これまでほとんど見られなかった女性の肺がん、若い世代の卵巣がんや睾丸(こうがん)がんが目立つようになったという。

 「卵巣や睾丸などは放射線に敏感であり、生殖作用と深い関係がある。先天性障害児の増加も、劣化ウランによる放射線や化学的毒性の影響を受けているせいでは、と疑っているんだ」

 劣化ウランとがんとの因果関係は、肺がんや骨がんなどを発症した患者の組織を調べ、劣化ウランの蓄積を確認できれば、科学的な裏付けに近づけると考える。だが今は、それを調べる手段を持たない。

 そして、それ以上にアリさんの関心は、医師として「目前の命を救う」ことに向けられている。「これだけのがん患者を抱えながら、乳がん治療用の放射線機器すらない。交通費や滞在費の工面が難しいのが分かっていながら、バグダッドへ送らねばならないのは忍びない」と声を落とす。

影落とす経済制裁

 放射線治療だけではない。化学療法でも、必要な医薬品は常に不足状態。「九七年の国連安保理合意で始まった食糧と医薬品のための部分的石油輸出緩和で、以前よりわずかに状態がよくなったのは確か。でも、化学療法では複数の薬を組み合わせなければ効果が上がらない。なのに二つがそろったかと思うと、一つが足りないといった悪循環を繰り返している」

 この病院でも、バグダッドの病院で薬局を視察した時も、医薬品の不足が続いているのは明らかだった。

 患者の治療には、血小板の輸血など支持療法が不可欠だ。しかし、血小板を取り出すための血液分離器は、軍病院に一台あるのみ。血液銀行から血液を軍病院に送り、分離後に送り返してもらうという煩雑な手続きが必要である。

 「退役軍人を含め、この病院には毎日新しいがん患者がやってくる。私の関心は彼らの命を救い、永らえること。そのための医療体制を一日も早く整えることなんだ。先進国並みにね…」

 経済制裁が続く中で、その体制整備がいかに困難か。それを知るベテラン医師の苦悩は深い。

(2000年6月20日朝刊掲載)

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