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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第5部 戦場国の爪痕 イラク <4> 湾岸退役兵 戦争後、突然の病魔 白血病・リンパ腫…

 破壊された飲料工場の建物。がれきのままの民家。中央で崩れた橋…。

 バスラ市内に今も残る湾岸戦争時の多国籍軍による空爆の爪痕(つめあと)を見た後、再びサダム教育病院を訪ねた。「腫瘍(しゅよう)病棟」に入院中の湾岸戦争退役軍人に「短時間なら話が可能」との許可が得られたからである。

「予断許さぬ状況」

 「現在、二人が入院中だけど、どちらも予断を許さない状況です」。担当医のウイザム・ナフィーさん(32)の説明を受けながら、エレベーターで五階の病室へ向かった。「十日前にも一人の退役兵を悪性リンパ腫で失ったばかりなんですよ…」

 四人部屋の窓辺のベッドに横たわるベイシム・アビッド・アル・サダさん(29)。湾岸戦争から三年後の一九九四年、慢性骨髄性白血病と診断され、以後入退院を繰り返す。

 「軍隊ではトラックの運転をしていた。湾岸戦争前から毎日二回、バスラからクウェート市まで物資を運んでいた。ハイウエーを使ってね」。左腕に輸血を受けながら、サダさんは通訳を務めてくれるナフィーさんにアラビア語で言った。

 「アメリカの空爆(九一年一月十七日)が始まって間もなくだった。クウェート内にいる時に攻撃を受けて、荷台に乗っていた二人が殺された。もう一人は大けがをした。自分も運転席から投げ出されたけど、けがもせずに助かったよ」

ちりと一緒に吸引

 黒い服の上からも分かるほど、サダさんの腹部は膨張していた。ナフィーさんによると、肝臓や脾(ひ)臓が張れ、腹部に水がたまっているのだという。

 「とにかく、戦争中はちりと油田の煙がすごかった。砂漠の中を戦車のような大きな物が動き回るから、砂嵐(あらし)がなくても前が見えにくい時があった。戦争中にたくさんの友達が死んだのがつらい…」

 サダさんが通いつめた道は、アメリカ兵らが「死のハイウエー」と名づけた、イラク軍にとって大きな犠牲を出した場所である。大量の劣化ウラン弾が使われたその地域で、サダさんはちりと一緒に劣化ウランの微粒子を体内に取り込んでしまった、とナフィーさんはみる。

 だが、彼が知るのは自分が「貧血」であるということだけ。劣化ウランという言葉も、その影響も告げられていない。

 病気のために九四年に除隊したサダさんは、その年に結婚。四歳になる息子がいる。「病気の前はどんなに働いても疲れなかったけど、その後は関節痛もあって働いてないんだ。父親が生活の面倒を見てくれているから心配はしてない。元気になってまた家に帰るのを楽しみにしているよ」

 サダさんは今回の入院で、慢性から急性に転化していると診断された。そのことを知らない彼は、濃いひげの間から白い歯をのぞかせ、かすかに笑った。

患者は増加の一方

 「隣のベッドの退役兵はマーリック・カーディム・ザーミルという名前で、三十六歳。急性白血病と診断されて一週間だけど、既に歯ぐきから出血している。危ない状態だね」。ナフィーさんは、そう言ってザーミルさんの脈を測った。

 徴兵でトラックの運転士をしていたザーミルさんは、クウェートにほど近いサウジアラビア北部に駐留していた。「撤退する間、いつも爆撃にさらされていた。周りで大勢の仲間が犠牲になったよ」。出血のためか、彼は話しにくそうに医師に語りかけた。

 戦争中は、けがも病気もしなかったという。九二年に除隊後、野菜やトマトの仲買で生計を立て、六人の子どもを養ってきた。「一週間前まではぴんぴんしてたのに、急にこんなことになってしまって…」

 ザーミルさんは、いまだに自分の体の急激な変化が信じられない様子だった。

 「湾岸戦争退役兵のがん患者は、ここ四、五年増える一方です。それも放射線による影響が強いと言われる白血病やリンパ腫が圧倒的に多いんです」。ナフィーさんは、劣化ウランとの関連を抜きに、事態の説明はつかない、と強調した。

(2000年6月21日朝刊掲載)

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