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社説・コラム

天風録 『脱原発「見えない中心」見えぬ』

 福島県の浜通り。「除染」と称して黒い袋に詰められ、仮置きされた土を確かに見た。土に寿命はないが、とぶらふ(弔う)と歌人は嘆く。福島の土うたふべし生きてわれは死んでもわれは土をとぶらふ(本田一弘)▲膨大な土を運び込む広大な更地も見た。「中間貯蔵施設」の名を持つ。「2045年までに県外へ」が国の約束だが、行き先は定かではない。大丈夫かと首をひねる言説ばかりが漂う中、原発の破綻から11年を迎える▲かつては議論の場に「見えない中心」があったと、国の復興構想会議委員だった民俗学者赤坂憲雄さんは本紙で振り返る。原発に依存しない社会をどう築く―。まっとうな議論の芯はどこへ▲福島の廃炉作業はデブリ(溶融核燃料)取り出しさえ進まないのに、この国では原発のさらなる再稼働を唱える声が大きくなる。〈ヒトは、その生存期間内で管理を全うできない核物質を扱うべきではありません〉という、詩人若松丈太郎さんの最後の言葉に聞く耳は持たないか▲あのチェルノブイリ原発に今また異変が起きている。安全に影響はないと国際機関は繰り返すが「電源喪失」の一報は穏やかではない。この世界の弔いはごめんである。

(2022年3月12日朝刊掲載)

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