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フクシマを忘れない 事故後に広島に避難 渡部さんが講演 友に会いたい 揺れる心

 東日本大震災の発生から11日で11年。福島市から実家のある広島市安佐北区に避難した渡部美和さん(46)は、東京電力福島第1原発事故で生活が一変した。「福島の友人に会いたい。でも再び地震や原発事故に遭ったらと思うと…」。つらい経験を話せない時期もあったが、この日、招かれた廿日市市での講演で市民たち20人を前に揺れる心境を語った。(浜村満大)

 「ウクライナから避難する親子を見ると、11年前の自分の姿と重なり直視できないんです」。ロシア軍のウクライナ侵攻や原発施設への砲撃について話が及ぶと、言葉を選びながらとつとつと語った。

 11年前、福島市の自宅で大きな揺れに見舞われた。生まれたばかりの長男を抱き外へ飛び出し、友人が働く事業所を頼った。安心を手に入れたと思ったのもつかの間、翌日、福島原発の建屋が吹き飛んだ。「放射線が飛んでくる」との友人の言葉に恐れおののいた。

 渡部さんの祖母は広島で入市被爆。幼い頃から親族たちの病気を見て、放射線の影響に恐怖や不安を感じながら育った。友人との別れは心苦しかったが「息子を守らなければ」と山形県や新潟県、大阪府を車や飛行機で経由し、必死で広島市の実家に戻った。

 パートナーだった男性も仕事を辞めて1年後に広島で合流した。だが、避難生活が合わず、4年ほどたち次第に男性の心身に不調が表れた。今も入院中。渡部さんは「息子のために普通の生活ができるようになってほしい」と願う。

 地域のコミュニティー、そして友人や家族の関係を分断した原発事故を許せない気持ちは強い。渡部さんは今、国と東京電力に損害賠償を求めた広島地裁での訴訟で原告団長を務める。「避難生活の中で亡くなった人や不登校になった子どももいる。簡単に避難して生活になじめるわけではない」と語気を強める。

 震災後も各地の電力会社は原発再稼働を目指し、政府は「ベースロード電源」として原発を諦めない。渡部さんは戦争被爆国で暮らすからこそ痛感する。「自分には原発被害への関心が薄れている社会に対し、事故や避難の経験を伝えていく責任がある」。強い使命感を帯びた表情で講演を締めた。

(2022年3月12日朝刊掲載)

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