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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 第5部 戦場国の爪痕 イラク <7> 国境地帯 戦車の残がい、今も 多い病人・障害児

 バスラ滞在中の一日を利用し、イラク軍の管理制限地域にあるクウェートとの国境の町、サフアン市へ向かった。十五分ほどでチェックポイントを通過。国連平和維持軍(PKF)の監視区域へ入る。時折「UN」のマークを付けたジープやトラックが走りすぎる。

「死のハイウエー」

 「この辺り一帯だよ。湾岸戦争で、自軍の戦車やトラック、装甲車などがたくさん破壊され、多くの犠牲者を出したのは…」。一九九一年の湾岸戦争時、ビデオ撮影班の一員としてイラク軍に勤務したバスラからのガイド(48)は、車窓の外を指さした。

 米・英の兵士らが「死のハイウエー」と呼び、戦場のありさまを「後学のために」と見学ツアー。劣化ウラン弾で破壊された戦車などに上って被曝(ばく)した場所である。説明を聞きながら、米国の湾岸戦争退役兵が撮影した当時のすさまじい破壊写真を思い浮かべた。

 ハイウエー近くの残がいは、すべて片づけられていた。遠くで埋蔵の天然ガスが地表から勢いよく炎を上げて燃え、その先の精油所の煙突からも炎が噴き上がる。車は四十五分で、バスラから南六十五キロのサフアンへ。人口二万八千人の市の行政庁舎は、湾岸戦争以来封鎖されたままの国境と、目と鼻の先にあった。

 イラクでは行政区が変わるごとに取材手続きをし、地元のガイドがつく。「監視」の意味合いもあるのだろうが、取材相手と英語で直接意思疎通できる時は、そばにいるわけではない。

 文字通りこちらの取材希望に合わせてのコーディネーター兼ガイド役。地の利を得ているだけに、助かることも多い。本省のバグダッド、バスラそしてサフアンからの三人のガイドとともに、近くのサフアン病院を訪ねた。

毎日250ー300人来院

 入り口の待合室は、老若男女であふれていた。三人の医師と一人の歯科医が患者を診る。女医のサッド・カースンさん(30)が、忙しい手を休め、別室で取材に応じてくれた。

 「患者は毎日二百五十人から三百人。白血病、リンパ腫(しゅ)などのがん患者が出ているけど、ここでは疑わしい人をバスラの病院へ送るだけ。正確な診断や治療をする設備がないのです」

 気管支や胃腸障害、頭痛、関節痛などが多いという。カースンさんが心配しているのは女性の乳がん。サフアンの二十歳から四十五歳までの約六千人の女性のうち、二割が乳房のしこりを訴えているからだ。精密検査のための紹介状を持たせた女性が、手術後に病院を訪ねてくることも一再ではない。

 先天性障害児も増えている。「サフアン周辺にはまだ破壊された戦車が残っているように、劣化ウラン弾の集中砲火を浴びた所。住民のほとんどが劣化ウランの微粒子を吸い込み、戦後の今も環境汚染による後遺症が残っているのよ」。カースンさんは強い調子で言った。

危険、PKFも移動

 破壊された戦車は、サフアンから西約二十五キロの「ラクダ」を意味するセナーム山のふもとなどに放置されていた。途中にあるPKFの宿舎用の建物に、人気はない。「より安全な地域へ」と移動してしまったからだ。

 農家に立ち寄ると、庭先に古いじゅうたんを広げ、小さな子が一人でたたずんでいた。

 「名前はジャーブル。男の子です。八歳になるけど、生まれた時からの障害で成長できないの。言葉もしゃべれなくて…」。黒いへジャブに身を包んだ母親のベギア・スアッドさん(30)が、息子を見つめて言った。湾岸戦争時に妊娠していた、七人の子の上から二番目。「ほとんど食べないから心配です」

 ビニールで覆ったトマトの生育は、水があるので順調だという。「劣化ウラン? そんな言葉は一度も聞いたことはありません」とスアッドさん。ジャーブルちゃんの背後の広大な大地で育つトマトは、本当に安全なのだろうか…。

(2000年6月25日朝刊掲載)

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