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連載・特集

ウクライナ核危機 今、考える 福島第1原発事故11年

 ウクライナに侵攻したロシア軍は、チェルノブイリ原発を制圧し、欧州最大のザポロジエ原発も占拠した。核物質を扱う研究施設も砲撃している。プーチン大統領は、核使用をほのめかす。全人類を危機にさらす愚行によって、私たちはあらためて原発や核兵器が存在する危うさを突き付けられている。折しも、未曽有の惨事となった東京電力福島第1原発事故から11年。私たちは現状にどう向き合い、考えるべきか。各界の3人に聞いた。

明治大 勝田忠広教授

原子力の将来 議論の時

巨大リスクのふた開く

 原発占拠の危険性は論をまたないが、それだけでザポロジエやチェルノブイリが破滅的状況にあるとはみていない。今後、ロシア軍の侵攻がどう推移するかによる。燃料プールも、保管中の使用済み燃料は温度が下がっている。仮に損傷しても、稼働中の原子炉の破壊や電源切断の場合と同様のリスクが直ちに発生するとはいえないだろう。

 ただ、偶発的な事態の恐れがあることは確かだ。ロシア軍にとって戦況が不利になり、現場から撤退するとなれば去り際に容赦ない行動に出かねない。拘束された運転員についても、心身両面での疲労が心配だ。

 安全規制の面で言えば、外部からの侵入を許したことが深刻。機微な情報や核物質が盗まれるかもしれない。テロリストの侵入は想定しても、国家間戦争のリスクについてはどの国も真剣に考えようとしてこなかった。世界で原発の安全強化につなげなければならない。日本も対岸の火事とせず、原発が存在する限りは最大限の対応をすべきだ。

 かといって「怖い」「規制強化を」で終わってはいけない。ウクライナの現状がそこまで恐ろしいのであれば、向き合うべき問題は別にある。

 原子力は日頃から巨大なリスクを内包している。テロと常に隣り合わせ。たまり続ける放射性廃棄物は、次世代へ回される。事故などが起きればあらゆる被害を強いられ、命が軽視されるのは地元住民だが、結局は国全体、国境を超えた皆の問題である。

 私たちはそれらにふたをして、目を背けてきた。事故を機に問題が露呈しても、政府、電力会社、市民は、時間がたてば再びふたで覆う。福島第1原発事故以前からの繰り返しだ。

 日本では、軍事利用ならば「核」、平和利用は「原子力」と単語を使い分けている。現実には、核分裂のエネルギーを使う原理は同じ。科学的、技術的には区別できない。放射線が人体の健康に影響を及ぼし、環境問題を引き起こす。そのことを身をもって知るのが、広島の人たちだろう。私は核融合研究に憧れながらも、学生時代を広島で過ごしたことが原子力を問い続ける契機となった。

 ウクライナを通じて、閉じていたふたが再び開いた。原子力の将来を議論すべきだ。だが同時に、危機に乗じて政治家らの議論が「核共有」などに至ることを警戒したい。軍備増強は緊張をエスカレートさせ、原発をも危険に巻き込む。広島と長崎から監視をすべきだ。(聞き手は金崎由美)

かつた・ただひろ
 1968年鹿児島市生まれ。広島工業大卒。広島大大学院で博士号(工学)。原子力資料情報室、米プリンストン大客員研究員などを経て現職。原子力規制委員会の原子炉安全専門審査会委員。専門は原子力政策。

広島大平和センター 川野徳幸センター長

国際社会に三つ分岐点

針路 被爆国が先導役に

 1986年のチェルノブイリ原発事故が被災者の生活と心にどんな影響をもたらしているかについて、2009年から近年まで、聞き取り調査を重ねている。その対象だった被災者たちでつくる「ゼムリャキ(互助団体)」の人々とは今、連絡が取れていない。とても心配だ。

 事故で被災者は住居や職を失った。健康の不安や、差別などで苦しんできた。いや応なく古里から引き離された被災者たちは今、2度目の避難を強いられている。悲惨な事態だ。

 これまでの調査では、被災者の9割は原発に肯定的であることが分かった。自国のエネルギー資源が乏しいことをよく理解しているからだ。しかし、ロシアが原発を制圧し、攻撃している今は状況が違うのではないか。原発の爆発による惨禍を体験した人たちだからこそ、ひどく懸念しているだろう。

 今回のロシアによるウクライナ侵攻によって、国際社会に三つの分岐点ができたと言える。

 一つは、核兵器に対する考え方だ。核抑止を「効果的」と見て核軍備を強めるか、核兵器は「やっぱり危険」だと考えて廃絶に進むか。核を持たないウクライナに対して核兵器をちらつかせて脅すロシアを見て、核保有や核武装の必要性を唱える国も出てくるだろう。あるいは、危険を取り除くためにも、なおさら核兵器禁止条約で縛る必要があると考える国もあるだろう。

 二つ目は原発について。「自国のエネルギーを賄う上で必要」とするか、やはり「原子力施設を持つことは危険」と考えるかだ。チェルノブイリ原発事故では、11万人以上の住民が避難を余儀なくされ、ウクライナ政府によれば原発周辺の168の村が消滅したという。万が一、稼働中の欧州最大級のザポロジエ原発が爆発でもすれば、被害はより広範囲に及ぶ。

 三つ目は、国際協調主義への認識だ。第2次世界大戦後に国際社会が構築してきた「武力による解決を望まない」という約束事が揺らぐ可能性がある。日本政府も条件付きでウクライナへの防衛装備品の供与を認めた。これを機に核武装や防衛強化の議論も起こり得る。

 日本と世界は、これらの分岐点からどちらへ針路を取るのか。今こそ被爆国が力によらない国際秩序のリーダーシップをとるべきだ。その政府を動かすのはヒロシマ・ナガサキの声にほかならない。核による「生き地獄」を体験するのは罪のない市民だということを訴え続けなければならない。(聞き手は湯浅梨奈)

かわの・のりゆき
 1966年鹿児島県志布志市生まれ。広島大大学院医歯薬学総合研究科博士課程修了。同大原爆放射線医科学研究所助手などを経て、同大平和センター長兼教授。専門は原爆・被曝研究、平和学。

原発はごめんだヒロシマ市民の会 木原省治代表

市民の姿 想像する力を

核と人類 共存できない

 ウクライナの情勢が伝えられるたび、かつて現地で会って交流した人たちの顔が思い浮かんで胸が痛む。

 ロシアのプーチン大統領はあろうことか核兵器使用をほのめかし、次々に原発を占拠し、核施設を攻撃している。核の非人道性を身をもって知る被爆者たちの声を今こそ届け、思いとどまらせなくてはと思う。

 初めてウクライナを訪ねたのは、旧ソ連チェルノブイリ原発事故から10年後。被災者を支援する非政府組織(NGO)が原爆写真展を開くのに同行し、被爆2世として体験を話した。

 人類の愚行による核被害という点でヒロシマとチェルノブイリには共通点がある。しかし事故から10年の時点でさらに半世紀前の被爆を語ることにどんな意味があるのか自問を続ける旅だった。行き着いたのは、やはり「核と人類は共存できない」という答えだ。

 当時現地の人たちは、放射線被曝(ひばく)による後障害や遺伝的影響など大きな健康不安を抱えていた。同時に、すでに忘却も恐れていた。

 翻ってそれは私たちの問題でもある。11年前の福島の原発事故の教訓をどれだけ胸に刻んでいるだろう。

 原発がいかに手に負えない存在か、多くの人が今、実感しているのではないか。だとすれば足元の日本の原発についても無視できないはずだ。

 いくら何でも原子炉に攻撃するようなことはないと信じたいが、万が一のことがあれば、その被害は敵も味方も国境も関係ない。原子力を発電に使うべきではないと改めて思う。

 広島に来た修学旅行生を案内する時によく、平和記念公園内の「平和の鐘」について説明する。国境のない世界地図が浮き彫りにされている。核被害に国境はないんだよと。鐘には「自己を知れ」とも書かれている。核廃絶も不戦も己への問いかけから始まると思う。

 私たちはウクライナ情勢を政治的駆け引きとして眺めるのではなく、極寒の地で右往左往している市民の姿を想像する力を付ける必要がある。一人一人の生命といった視点から考える尺度を持つべきだ。

 被爆地の経験は重く、世界に果たすべき役割はますます大きい。被爆者として原水禁運動を支えた故森滝市郎さんは、「核が人類を否定するか、人類が核を否定するか」と語った。その瀬戸際に、私たちはいる。いま一度、核兵器だけでなく原発についても真剣に考え、行動するときではないか。(聞き手は森田裕美)

きはら・しょうじ
 1949年広島県五日市町(現広島市佐伯区)生まれ。会社勤めをしながら被爆2世として反核運動に関わり始め、78年から「原発はごめんだヒロシマ市民の会」代表。県原水禁常任理事。

(2022年3月15日朝刊掲載)

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