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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 バグダッド・バスラ がん 子どもたち襲う 「湾岸戦争」後3―4倍増

経済制裁…医薬品足らず 消えゆく命 唇かむ医師

 澄んだ大きなひとみで一点を見つめる少女。不安そうに医師の回診を受ける少年。父親に抱かれたあどけない表情の幼児…。

 ひとりの命が絶たれ、病魔に襲われた子が新たに運び込まれる。バグダッドのサダム中央教育子ども病院など、首都やイラク南部の主要病院のがん病棟は、白血病などで苦しむ子どもたちであふれる。幼い命を救えぬ無力感と焦燥に駆られながら、医師たちはひたすら治療に取り組む。

 一つの病院で、同じ日に二、三人が白血病と診断されることも珍しくはない。だが、その子どもたちを救う十分な医薬品、医療器具、そして医療設備も今はない。一九九〇年八月、イラクのクウェート占領直後に始まった、国連安保理決議に基づくイラクへの経済制裁が影を落とす。

   ◇    ◇

 「免疫力が落ちた白血病の子どもを、無菌の集中治療室で手当てすることも、骨髄移植することもできない。化学療法で、何とか命を永らえさせるのが精いっぱい…」。バグダッドのマンスール小児病院で、日々患者と接する女医(45)は、よりよい治療法がありながら、施せぬ無念に唇をかむ。

 九一年の湾岸戦争前と比べ、子どもたちのがん罹(り)患数は三~四倍に増加した。特に九四年ごろから、白血病を中心に増え始め、今もその傾向は変わらない。白血病は十五歳以下の子どもたちの間で、がん発症の四割以上を占め、二番目に多いリンパ腫(しゅ)の二倍余にも達する。

 田舎で暮らす子どもたちの中には、がんなどの重い病気にかかっても、親たちが大きな病院のあるバグダッドやバスラまでの交通費や滞在費が払えず、正確に診断されることもなく死亡するケースも多い。

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 イラクの医師たちは、大人を含めた湾岸戦争後のがん患者の増加を、主として米・英両国が戦時中に使った劣化ウラン弾の影響によるとみる。

 国連児童基金(ユニセフ)の調べでは、イラクの五歳以下の幼児死亡率は、減少を続けた八〇年代に比べ、湾岸戦争後の九〇年代は千人当たり百二十~百三十人と二倍余。死亡率の高さは、劣化ウランなどによる環境因子に加え、米・英や日本など西側諸国を中心にしたイラクへの経済制裁の深刻な影響が背景にある。

 サダム・フセイン政権が、大量破壊兵器の製造禁止など停戦協定を守っていないとの理由で続く経済制裁。それは同時に、罪のないイラクの子どもたちの命をも確実に奪い続ける。(文と写真・田城明)

◇写真説明中の()数字は撮影場所

(1)は「サダム中央教育子ども病院」
(2)は「マンスール小児病院」
(3)は「バスラ小児・産科病院」
「サダム中央教育子ども病院」
(2)は「マンスール小児病院」
(3)は「バスラ小児・産科病院」

(2000年6月18日朝刊掲載)

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