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連載・特集

広島世界平和ミッション 旅を終えて <6> 希望の被爆地 仲介役機能の拡大図れ

 平和ミッションの旅を通じて、日本がかつて侵略した中国や植民地支配した韓国とは、広島が求める「平和と和解の心」を分かち合うにはなお、埋めなければならない深い溝があることは既述した。

 しかし、アジア・太平洋戦争で直接戦火を交えなかった紛争地などその他の国々では、被爆地広島への「平和と和解のイニシアチブ」に期待を寄せる声を多く聞いた。特にインドやパキスタン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、イラン、南アフリカ共和国などにおいてだ。

 それは「仲介役」としての広島であり、原爆の廃虚から復興した「希望の都市」としての被爆地の役割である。

 私たちがそのことを痛感したのは、特に印パ両国を訪ねた第五陣が、広島を体験した両国の高校生や大学生と交流してのことである。

若者の交流■

 彼らは、広島の市民団体「インド・パキスタン青少年と平和交流をすすめる会」の招きで二〇〇〇年から毎年それぞれ四、五人ずつが広島を訪問。約十日間滞在し、原爆資料館の見学、被爆者の証言、広島の高校生らとの交流、平和をテーマにしたワークショップなどに加わる。

 そして核保有が自国の安全よりも危険を高めていることに気づき、顔を合わせての交わりに憎しみではなく、友情をはぐくむ。被爆者ら広島市民がなぜ原爆投下国への憎しみや復讐(ふくしゅう)心ではなく、平和と和解を求め、核兵器廃絶を願うかの「ヒロシマの心」に触れる。

 帰国した若者たちは、インターネットで互いに交流を保ちながら、それぞれ学校など身近なところで、被爆地での体験を語り、印パの人たちの間に信頼を醸成する必要性を説いていた。

 これまでに招いた若者は印パ両国で三十六人。引率の大人を含めると四十人を超す。昨年は実現できなかったが、今年は秋に招請する計画だ。

 第四陣が訪ねたボスニア・ヘルツェゴビナではセルビア、クロアチア、ムスリムの三民族が対立し、九二年から九五年にかけて約二十万人の犠牲者を出した。民族間の不信・対立は、紛争終結から約十年がたった今でも深い。

 そんな中、国際協力機構(JICA)が広島県、財団法人広島国際センターなどとの協力で昨年から始めたこの国の教育者約十人を被爆地に招いての平和教育プログラム。今年も六月中旬から三民族の九人が約一カ月間、学校現場などを訪ね、共に研修に取り組んでいる。先月二十七日には四陣メンバーとも会い、意見を交わした。

 ここでも広島が対立する三民族の人々をつなぐ「仲介役」を果たしている。回を重ねることで、教育を通じた民族間の「和解」「相互理解」に役立つに違いない。

 第一陣は昨年四月、南アとイランに加え、紛争が続くイスラエルとパレスチナを訪問する予定だった。だが、治安の悪化に伴い断念せざるを得なかった。

 そのイスラエルとパレスチナから高校生六人ずつが八月二日から十一日まで東京の市民団体を中心にした「平和をつくる子ども交流プロジェクト実行委員会」の招きで広島・長崎に集う。日本の高校生六人も加わり、被爆地で平和のために何ができるかを話し合う。ミッションメンバーの一人は、被爆地での交流計画作りなどで奔走中だ。

 彼らもまた、旅を通じて培われた友情をきずなに、「平和と和解の種」をイスラエルとパレスチナの地にまき、育ててくれることだろう。

支援に期待■

 ただ、二つの市民団体とも交流資金は市民の善意による寄付だけが頼り。事業として翌年も継続できる保証がないのが実情である。財政事情の乏しい市民レベルのこうした草の根平和外交を被爆国の政府機関なりが側面支援し、育てることも平和憲法の精神に根ざした立派な国際貢献といえよう。自治体や企業による資金援助なども強く期待されるところである。

(2005年7月2日朝刊掲載)

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