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連載・特集

広島世界平和ミッション 旅を終えて <8> 新たな始まり 核廃絶・不戦の歩み未来へ

 一年余に及んだ六陣にわたる広島世界平和ミッションは、さまざまな年齢層が協力して「ヒロシマの心」を世界へ伝えようとした被爆地広島からの行動だった。

 被爆者たちは高齢にもかかわらず「一人でも多くの人たちに被爆の実態や核兵器廃絶、不戦の願いを届けたい」との使命感に燃え、強行日程をこなした。

 一緒に旅をした若者たちは被爆者たちの姿にも触発されながら、自分の言葉で平和への思いを伝え、そして世界の現実から多くを吸収した。

 アフガニスタンの難民やカザフスタンの被曝(ひばく)者支援などの市民活動で経験を積んだ中堅世代は、国際協力の視点からもメッセージを発信し、ヒロシマの訴えに幅を持たせてくれた。

 中国人留学生ら訪問国を母国にする広島在住の外国人や在韓被爆者のメンバーは、ときに懸け橋役となり、自国に注文を付けたり、通訳を務めたりもした。彼らの存在は広島・長崎の出来事が決して被爆地の市民や被爆国の日本人だけの問題ではなく、核時代を生きる世界の人々の課題であることをも示してくれただろう。

広がる交流■

 各メンバーは、それぞれの体験を生かして反核・平和のネットワークを広げつつある。第一陣でイランを訪ねた五人のメンバーのうち三人は、現地の毒ガス兵器被害者らとの交流を深めるため、広島の専門医ら十六人とともに六月下旬から十日余り、再びイランを訪問した。

 被爆者たちは一層積極的に証言活動に取り組み、若者四人は核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれたニューヨークに集い、世界各地から結集した市民とともに反核・平和の声を国連に届けた。

 訪問地で知り合った人たちとのインターネットでの情報交換、学校での「出前授業」、インドとパキスタン、イスラエルとパレスチナの青少年を広島に招くための活動への参加…。

 インドをはじめ各地で交流した人々からも「被爆写真を使ってヒロシマを伝えている」「八月には被爆地を訪問する」などのメールが届く。

 むろん、今回の旅を通じて私たちは「核抑止力」信奉の壁の厚さも実感した。何の合意も得られなかった五月のNPT再検討会議の結果がそのことを物語っている。

 被爆から六十年。二十一世紀を迎えた人類はなおヒロシマやナガサキの教訓から学び得ていない。そして、その指摘は残念ながら被爆国の日本にも向けられるべきなのだろう。

 軍事力を背景にした「力の政治」が幅を利かせ、それに引きずられる世界の現実。「テロ」という非国家による「暴力」も、力の政治の裏返しといえよう。

 しかし、そうした潮流に抗して国籍や人種、民族、宗教の違いを超えて「地球市民」といった意識が大きく育ちつつあるのも事実。私たちは各地で積極的に行動しているそうした人々と出会い、勇気づけられもした。

 国連加盟国は現在百九十一カ国。考えてみれば、そのうちの圧倒的多数の政府と国民は、非核国としてNPTに加盟し、核兵器の廃絶を強く願っているのだ。

 核超大国の米国民でさえ、今年三月のAP通信の世論調査によれば、66%が「いかなる国も核兵器保有は許されない」と答えているのである。

 核保有国の市民をはじめ非核国の政府や国民、各国の非政府組織(NGO)などが協力して核保有国や潜在保有国に働き掛けを強めていけば、核軍縮から核廃絶への展望も遠くない未来に開けてくることだろう。

 被爆六十周年プロジェクトとして取り組んだ「広島世界平和ミッション」にピリオドを打った。だが、それは六十周年後へと続く新たな始まりでもある。

法王の言葉■

 今年四月、宗教の違いを超えて「和解」を呼び掛け、世界の平和に貢献したヨハネ・パウロ二世が亡くなった。ローマ法王は一九八一年、被爆地広島を訪れ、原爆慰霊碑そばから世界の人々に向けてメッセージを発した。法王の言葉を私たちはいま一度胸に刻み、歩みたいものである。

 広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
 広島を考えることは、平和に対しての責任を取ることです。

平和ミッション取材班=特別編集委員・田城明、編集委員・西本雅実、社会・経済グループ・岡田浩一、森田裕美、写真チーム・野地俊治、松元潮、田中慎二、山本誉、荒木肇

(2005年7月4日朝刊掲載)

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