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社説・コラム

社説 自民党の核政策論議 被爆国の責任 再認識を

 被爆国の立場を忘れたのか。自民党がきのう、安全保障調査会の会合を開き、核抑止力の在り方について論議した。

 個々の政治家が自らの考えを述べたり政治家同士で議論したりするのは自由である。しかし権利には責任が伴うことを忘れてもらっては困る。政権与党として、米国の核兵器を共同運用する「核共有」政策にまで踏み込む議論は看過できない。国際社会に、誤ったメッセージを送ることになりかねないからだ。

 独自の核兵器保有も核共有も「国是」である非核三原則に明らかに反している。「持たず、つくらず、持ち込ませず」という三原則は、半世紀以上前から今の岸田政権まで、ほかならぬ自民党の政権も堅持してきた。

 今回の論議は、核兵器廃絶を世界に訴え続けてきた被爆国としての姿勢とも矛盾する。「平和国家」として果たしてきた役割を自ら放棄するのに等しい。

 火付け役は、先月下旬の安倍晋三元首相の発言だ。ロシアによるウクライナ侵攻を踏まえ、核共有について日本でも議論すべきだと述べた。危機に便乗して、自民党内にくすぶっていた核武装論を呼び覚まそうとしたのだろう。核の使用がどれほど非人道的か、理解した上での発言だとは到底思えない。

 第1次安倍政権時代の中川昭一自民党政調会長が2006年、核保有議論の必要性を唱えて批判された。内閣と自民党の責任者だった安倍氏は、政府や党の機関では非核三原則堅持の立場から議論しない、として火消しを図った。なぜ、首相をやめてから力を入れるのだろう。

 岸田文雄首相への揺さぶりにも見えてしまう。安倍氏の発言に対し、高市早苗自民党政調会長が素早く反応した。非核三原則のうち「持ち込ませず」については有事の際、例外を認めるべきだと主張している。

 野党の日本維新の会も、非核三原則は「昭和の価値観だ」と切り捨てた。国際社会の大きな流れや、戦後日本の歩みを軽んじているのではないか。

 原爆の惨禍を知る広島、長崎が長年、核と人類は共存できないと訴え、国際社会の理解を徐々に得てきた。例えばエリア内で核兵器を禁じる「非核兵器地帯」は中南米やアフリカなどで着実に広がっている。

 1996年には、国際司法裁判所が「核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法に違反」との勧告的意見を出した。しかし国家の存亡に関わる状況下での自衛については、核兵器使用が違法かどうか明快な判断を避けた。

 その「抜け穴」も、核兵器禁止条約が昨年1月に発効して、ふさがった。条約は、被爆地の訴えを形にしたような内容で、自衛を口実にした使用も含め、核兵器を全面的に禁じている。

 世界がここまで進んできたのに、被爆国が今になって核共有論議に踏み込むのでは国際社会に不信感を与えるだけだろう。

 北朝鮮や中国、ロシアは、日本の核共有論議を口実に、核軍拡を加速しかねない。核がなければ自国は守れないという発想も危うい。他国で核武装の連鎖を起こす恐れがある。

 人類の自滅を防ぐため、被爆国が国際社会で果たすべき役割はまだ残っている―。危機に便乗したり浮足立ったりせず、日本政府も国会議員も、認識を新たにしなければならない。

(2022年3月17日朝刊掲載)

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