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社説・コラム

『潮流』 核の危機と人道の危機

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 紛争地の実態を報じる女性ジャーナリストたちの著作を久々に再読し、書棚で最も手に取りやすい位置に置き直した。「関心を持ち続けなければ」と反省の意を込めて。1冊は2004年出版の「チェチェン やめられない戦争」だ。ロシア紙ノーバヤ・ガゼータのアンナ・ポリトコフスカヤ記者が、第2次チェチェン紛争を「戦争特派員ではなく普通の市民」の目線で報じる。

 拷問と略奪、レイプ、無差別殺りくを極めるロシア軍の残虐ぶり。武装勢力を含めて、各地で横行する腐敗。住民が強いられた悲惨な境遇に言葉を失う。プーチン政権下での警鐘の書として話題になった。

 06年、ポリトコフスカヤ記者はモスクワで射殺された。一報に衝撃を受けたが、正直なところ、その後はむしろ忘れかけていた。

 ロシアは11年から始まったシリア内戦でアサド政権を支え、反体制派の掃討として空爆を繰り返した。クリミア併合を経た現在、ロシアの侵攻を受けたウクライナ市民の苦しみは「チェチェン紛争とシリア空爆の再来」と言われているという。しかもプーチン大統領は核兵器使用をちらつかせ、世界を恐怖に陥れた。

 原爆被害の実態を、被爆地から強く発信する意思を新たにしている。同時に、「核兵器」の一言に反応する以前から、すべきことはなかったか、とも思う。人道危機はミャンマー、アフガニスタン、そして世界各地で進行していることでもある。

 犠牲は日々膨れ上がる。一刻も早い停戦を切に願うが、壮絶な暴力を振るわれている側に「核兵器だって使われかねない。あなたが折れて」と言えるか。片や大量破壊兵器を手に暴力を振るう側は「核抑止力は有効だ」と確信するだろう。私は、明快な答えを持ち合わせていない。ヒロシマ発の揺るがぬ「平和」の意味を自問する契機だと思っている。

(2022年3月17日朝刊掲載)

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