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連載・特集

緑地帯 野中明 ゲンビとわたし②

 「井上武吉の作品が最高だっただろう」というダニ・カラヴァンの言葉に、私は少したじろいだ。チェレの敷地内には非常に多くの作品が設置されている。いつしか私は、限られた時間の中で全ての作品を巡ることが自分に課せられたノルマであるかのように錯覚していた。その揚げ句、半ば流すようにしてしか井上の作品を体験していなかったのだ。

 井上武吉(1930~97年)は室生寺がある奈良県宇陀市の出身。現在の武蔵野美術大学で学び、国内での活動を経て70年代半ばに渡欧した。パリ滞在中の80年ごろ、カラヴァンの紹介でジュリアーノ・ゴーリという布地の売買で財を成したイタリアの実業家に出会い意気投合。このゴーリこそチェレのオーナーである。

 井上がチェレに制作したのは「my sky hole」という彼の代表的なシリーズに属する作品。鑑賞者は地中に設けられた暗い空間を通過したのち、地上に設置されたガラスでできたキューブ状の空間の内部へと至る。暗闇から光に満ちた空間へ。死と生誕。井上のモチーフは鑑賞者を自己、世界、宇宙との対話へと誘うことにある。あろうことか、私はそのような作品をチラ見したまま通り過ぎてしまっていたのだった。

 幸いゲンビには井上の複数のアートワークが設置されているので、これからは慌てずゆっくりとそれらを味わうことができる。中でも私が推すのは、建築内外の空間と一体となった二つの階段モニュメントだ。ゲンビが再オープンした暁には、みなさんもぜひ。(広島市現代美術館副館長=広島市)

(2022年3月16日朝刊掲載)

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