再開発進む76年から2年間の基町地区 中区で写真展 学生が捉えた原爆スラム 「若い世代も知って」
22年3月22日
1976年から2年間、全国の大学の写真部員たちが「原爆スラム」と呼ばれた広島市中区基町の本川沿いに入り、街の様子を撮影していた。背後で再開発が進むバラック街の日常を切り取った写真展「1976―1978基町」が中区袋町の旧日本銀行広島支店で開かれている。当時、撮影に参加したメンバーは「今の若い世代にも知ってほしい」と呼び掛ける。28日まで。無料。(加納亜弥)
写真部員たちが撮影に入った76年から丸2年間は、トタン屋根の住宅が密集する背後で高層アパートの建設が進んでいた。展示では、街の中で笑顔を見せる子どもやお年寄り、解体されたバラックが燃やされているカットなどモノクロの47点が並ぶ。撮影者の鈴木八千代さん(69)=東京都青梅市=は「住民は学生たちを温かく受け入れてくれた。お互いにいろんな話もした」と思い起こす。
本川の左岸には戦後、被爆者や外国人、住まいを失った人々が身を寄せた。一方、周辺では県と市の再開発事業で69年から高層アパートの建築が本格化し、住民は立ち退きを余儀なくされていた。社会問題などテーマを決めて全国各地で撮影していた全日本学生写真連盟の学生たちも「基町の息遣いを残したい」と延べ150人が街に入った。
その後、写真は眠ったままだったが、当時の学生たちが2015年に写真の保存に着手。2年後には一般社団法人「もう一つの写真記録」(千葉県)をつくり、未来に残す活動を本格化させ、今回の写真展につながった。同法人メンバーの今村ひろみさん(73)=東京都調布市=は「基町には人の交わりと優しさがあった。そんな街が存在したという事実を伝えたい」と話している。
(2022年3月19日朝刊掲載)
写真部員たちが撮影に入った76年から丸2年間は、トタン屋根の住宅が密集する背後で高層アパートの建設が進んでいた。展示では、街の中で笑顔を見せる子どもやお年寄り、解体されたバラックが燃やされているカットなどモノクロの47点が並ぶ。撮影者の鈴木八千代さん(69)=東京都青梅市=は「住民は学生たちを温かく受け入れてくれた。お互いにいろんな話もした」と思い起こす。
本川の左岸には戦後、被爆者や外国人、住まいを失った人々が身を寄せた。一方、周辺では県と市の再開発事業で69年から高層アパートの建築が本格化し、住民は立ち退きを余儀なくされていた。社会問題などテーマを決めて全国各地で撮影していた全日本学生写真連盟の学生たちも「基町の息遣いを残したい」と延べ150人が街に入った。
その後、写真は眠ったままだったが、当時の学生たちが2015年に写真の保存に着手。2年後には一般社団法人「もう一つの写真記録」(千葉県)をつくり、未来に残す活動を本格化させ、今回の写真展につながった。同法人メンバーの今村ひろみさん(73)=東京都調布市=は「基町には人の交わりと優しさがあった。そんな街が存在したという事実を伝えたい」と話している。
(2022年3月19日朝刊掲載)