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[ヒロシマの空白 街並み再現] 天神町北組 被爆前の営み 爆心地近く 元住民がアルバム保管 市、26日から遺構公開

 広島原爆の爆心地近く、現在の平和記念公園(広島市中区)内にあった旧天神町北組の街並みや暮らしぶりなどを撮った写真約30枚を収めたアルバムが、松山市に住む元住民の元に残っていた。旧天神町北組は、市が26日から原爆投下で壊滅した街の遺構を展示公開し、核兵器の非人道性の発信を強めようとしているエリア。原爆資料館は「被爆前の姿を記録した写真は少なく、貴重だ」とする。(編集委員・水川恭輔)

 アルバムは、旧天神町北組にあった米田京染店が実家だった故米田博さんの遺品。華やかな見本の生地が飾られた店先や店の奥の自宅、店や家が密集していた町内の路地や近所での茶会の写真などが残る。西隣の旧材木町にあった無得幼稚園などのカットもある。

 原爆投下時、米田さんは大学生で関東にいたが、実家にいた母や兄たち家族4人が犠牲になった。米田さんが2018年に95歳で亡くなった後は、郊外の疎開先で助かったおいの清荘さん(86)=松山市=がアルバムを保管している。

 旧天神町北組があった一角では26日、市の被爆遺構展示館が開館し、炎上した建物跡などが公開される。市は22年度、北組を南北に走っていた天神町筋の通りの跡に沿って園路を整備するための設計も始める方針。清荘さんは被爆前の街と被害の記憶の継承を願い、資料館に写真の画像データを寄贈する。

(2022年3月21日朝刊掲載)

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