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連載・特集

知られざるヒバクシャ 沖縄の劣化ウラン弾 砂礫の島 募る不信

米軍、鳥島射爆場に1520個発射 貫通体回収まだ16%

撤去したはず…弾薬保管 薬きょう「鉄くず」と売却

 一九九五年十二月と翌年一月、米海兵隊岩国基地所属の垂直離着陸機ハリアーが、沖縄県・鳥島射爆場で行った実弾演習で、放射能兵器である劣化ウラン弾千五百二十個を発射した。事実が明るみに出たのは一年余り後の九七年二月。沖縄県民が求めるウラン弾の回収が進まぬうちに、今年五月、在沖縄米空軍司令官が嘉手納弾薬庫に「劣化ウラン弾を保管している」と発表した。 その数日後には、県内の米軍払い下げ品取扱業者の資材置き場で、使用済みの劣化ウラン弾の薬きょう四百七十三個が見つかった。沖縄から撤去されたはずの劣化ウラン弾がいまだ保管される一方で、民間に「鉄くず」として薬きょうが売却されるずさんな管理…。主要国首脳会議を前に訪れた沖縄では、人々が沖縄サミットを歓迎しつつも、米軍への不信を募らせていた。(田城明、写真も)

 東シナ海に浮かぶ沖縄の久米島は、那覇市から西へ約百キロ。久米島からさらに北へ約二十五キロの所に米軍射爆場の鳥島はあった。面積わずか三・九ヘクタール。琉球石灰岩からなる島の南側斜面と平地部は、東端の岩場を除いて砂礫(れき)と化していた。斜面には幾つも砲弾が転がっている。

  ■半世紀の演習の傷

 北側に回ると大きな爆弾の投下によってできたのか、岩場に穴があき、東端部は爆撃によって黒ずんでいた。波間の向こうに見える緑に覆われた久米島とは対照的に、半世紀余にわたる爆撃演習に耐えてきた裸の島は、悲鳴が聞こえてきそうなほど痛々しい姿である。

 この鳥島に向け、米海兵隊のハリアー戦闘機が二五ミリ砲弾の劣化ウラン弾を発射したのは、十二月五日と七日にそれぞれ六百個、一月二十四日に三百二十個。いずれの日も、各二機が演習に加わったとされる。

 在日米軍は九七年四月末までに、発射した砲弾のうち、弾芯(しん)に当たる劣化ウラン貫通体(重さ百四十八グラム)を二百三十三個回収。その後も作業を続けているが、これまでに二百四十七個、全体の一六%を回収したにすぎない。

 ■科技庁「影響ない」

 島の北側斜面や東端の岩場に当たった劣化ウラン弾は、衝撃で燃え上がって酸化微粒子となり、大気に放出された可能性が高い。その微粒子が、冬場の北風に乗って久米島などに降下した可能性も考えられる。南側の砂礫部分から一番多く貫通体が回収されているが、かなりの数が地中深く埋まっている、ともみられる。

 一度の飛行で劣化ウラン弾をすべて発射したのか、それとも複数回なのか。それによっても大きく左右されるが、島の大きさを考えると、米軍が推定するように海中に没した数も多いかもしれない。

 在日米軍は、これまでに鳥島の汚染土壌は取り除いたという。島の周囲三カイリ(五・五キロ)は立ち入り禁止区域でもあり、環境や人体への影響は一切ないとしている。科学技術庁原子力安全局も、これまでに実施した鳥島や久米島の土壌、大気、周辺の海水、魚の環境調査では「劣化ウランの影響はない」と結論づける。

 波しぶきを浴びながら、鳥島を管轄する仲里村のある久米島に戻った。すると、「ウミガメ館」のこの日のオープンを祝って、島の子どもたちが同館前の広場で勇壮に太鼓を打ち鳴らし、伝統のエイサーを披露。仲里村長の高里久三さん(64)が「豊かな久米島の自然と文化、そしてウミガメがすみやすい環境を守りましょう」と、来館を待つ家族連れらに呼びかけた。

 式典後、仲里村役場で会った高里さんの、劣化ウラン弾について話す口調は重かった。

 ■豊かな漁場も犠牲

 「私たち島民は、いくら米軍や科学技術庁が安全だと言っても安心できません。五月十七日に、隣の具志川村長と一緒に、約一万人の島民の健康診断や回収作業を今後も続けてもらうよう、県を通じて国や米軍に要請したばかりです」

 「それなのに、その直後には嘉手納弾薬庫に劣化ウラン弾を保管しているとか、鳥島で使われたのと同じ劣化ウラン弾の薬きょうが見つかったりしている。信用しろと言われてもできないですよ…」

 鳥島海域はマグロ、カツオ、ソデイカなどの好漁場として知られる。

 同席した久米島漁業協同組合(三百三十一人)の棚原哲也さん(48)によると、演習のない週末には那覇辺りから鳥島近くへ遊漁船がかなり繰り出しているという。しかし組合員には、禁止海域でなくても久米島の北側で、なるべく漁をしないよう通達を出している。

 「演習ルートなどにいたら何が降ってくるか分からない。安全のためには、いくらいい漁場でも犠牲にするしかない」。棚原さんは日焼け顔に悔しさをにじませた。

 ■不安への回答なし

 久米島の人々の願いは、劣化ウラン弾をはじめ不発弾を取り除き、きれいな鳥島を返還してもらうことだ。「美しい自然を生かした観光と農業と漁業。産業の面からも、島民の健康の面からも射爆場があっていいことはありません」。後に会った具志川村長の内間清六さん(59)も、こう強調した。

 米軍から流れ六、七年もの間、多数の劣化ウラン弾(二五ミリ砲弾)の薬きょうが放置されていた沖縄本島中部の西原町。劣化ウラン弾(三〇ミリ砲弾)が今も保管されている嘉手納弾薬庫のある嘉手納町や沖縄市。そして米軍や国との窓口役の県も、行政担当者は一様に驚きや不信、健康への不安など危機感をもって事態を受け止める。住民も思いは同じである。

 そして在沖縄米軍に対し「どこで、いつ使われた劣化ウラン弾の薬きょうなのか」「なぜ危険な薬きょうが民間に流出したのか」「海兵隊は日本から劣化ウラン弾をすべて撤去したとしながら、なぜ沖縄に今も劣化ウラン弾が保管されているのか」と究明を迫る。

 だが、在沖縄米軍からも、在日米軍からもいまだに回答はない。

(2000年7月13日朝刊掲載)

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