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連載・特集

緑地帯 吉田正仁 世界で最も遅い旅④

 尖閣諸島の国有化後、中国では大規模な反日デモが起こり、日中関係は最悪の状況に陥った。そんな時期、私は中国を歩いていた。

 田舎の食堂で昼食をとった時のことだ。「青椒肉絲(チンジャオロース)」と注文するが、発音が悪くて伝わらない。「炒麺(チャーメン)」は「ない」と言われ、回鍋肉(ホイコーロー)は予算の3倍なので却下。結局「10元(約150円)で食べられるもの」と注文し、卵とピーマン炒めが出てきた。腹を満たしたところで回鍋肉が登場し、ビールまで運ばれてきた。「金はいらないよ」と主人の計らいである。

 多めにお金を渡そうとしたが、「受け取れない」と主人は受け取りを拒み、結局その厚意に甘えることとなった。

 しばらく歩いたところで食堂に居合わせた男が追いかけてきて、100元札を差し出した。丁重に断るも、「靴がぼろぼろだから新しい靴を買いなさい」と彼は言った。

 タダで飯を食えたとか、お金をもらったとか、そんなことはどうでもよかった。彼らの気持ちがありがたくて、優しさが胸に沁(し)みた。

 温かな余韻に浸り、歩き続けていたが、目指していた町を目前に雨が降り始めた。雨の中を歩いていたら、停車した車から傘が渡された。食堂の主人だった。

 暴力的な反日デモが連日報道され、過去最悪ともいえる日中関係の最中、日本人の私が中国を歩くことは無謀にも思えた。そういう状況下だからこそ、彼らの優しさはなおさら心に響いた。

 メディアの報道だけが真実ではない。その陰に隠れている人たちの存在を忘れてはいけない。幾度となく感じた中国人の情け深さはそんなことを気付かせてくれた。 (徒歩旅行家=鳥取市出身)

(2022年4月12日朝刊掲載)

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