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連載・特集

ビキニ被災50年 第1部 マーシャルの島民たち <5> 医療

頼みの米機関「検査だけ」

 月曜日の朝。首都マジュロのDOEクリニックに、市内に住むベティ・エドモンドさん(56)が浮かない顔でやって来た。「薬をやめることは自殺することだって言われているからね」。三十年以上つきあっている甲状腺ホルモン剤など五種類の薬をもらうためだ。

 DOEとは、米エネルギー省のこと。核兵器開発も担う省庁はマーシャルで、ヒバクシャたちの「医療監察」を続ける。

因果関係認めず

 「検査するばかりで、治療してもらえない」。かつて米国が原爆投下後の広島に設けた原爆傷害調査委員会(ABCC)に、被爆者たちはそんな不満を抱いた。ここマーシャルのヒバクシャたちからも、同様の不満を聞いた。だが、ほかに被曝(ばく)医療の専門病院はない。

 主任医師のシェルドン・リクロンさん(36)が、エドモンドさんのカルテを見ながら、手際良く薬を用意した。「ここは研究機関。ただ、ほかの病院には専門知識や薬がないので、ここで対応するんですよ」。検査で異常が見つかれば、ハワイや米本土へ渡って高度医療を受けることになる。

 五十年前の核実験「ブラボー」のとき、ロンゲラップ環礁にいたエドモンドさんは「死の灰」を浴びた。「空から白い粉が降ってくるなんて、初めての出来事でしょう。とても怖くて泣いてしまったのよ」

 白い粉には、放射性ヨウ素が含まれ、一九六〇年代に入ってロンゲラップの住民たちに甲状腺障害をもたらした。エドモンドさんも六九年以降、米国で三回の手術を受けた。それ以来、薬が手放せない。

 「最近、新しい症状が出てきたの」。心配そうに打ち明ける。急に、金縛りにあったように手足がつり、動けなくなるという。DOEクリニックは、放射線との因果関係はないと診断した。

 「米国は『関係ない』と言って逃げる。きちんと診てほしい。放射線のせいだと確認してもらいたいんだ」とエドモンドさん。米国に不信感を抱きながら、米国に頼るしかない。

医療交流に期待

 マーシャル最大の病院であるマジュロ病院を訪ねた。「残念なことに、ヒバクシャ医療のデータはすべてDOEが握っている」。マサオ・コーリャン院長(57)は、もどかしげに話し始めた。

 最近は、甲状腺以外のがん患者が多い。糖尿病なども増えている。核実験を直接体験していない若い世代にも、甲状腺がんが目立つという。実験との因果関係は分からない。生活習慣の影響もあるのだろう。しかし、少なくともヒバクシャや二世たちは、実験のせいだと感じている。

 「私たちには、情報も専門知識もない。被曝医療に精通しているヒロシマと医療面の交流をし、さらには情報を提供してもらえたら、どんなに良いだろう」。日本人のような名前の院長は、被爆地に期待を寄せた。

(2004年2月17日朝刊掲載)

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