×

連載・特集

ビキニ被災50年 第1部 マーシャルの島民たち <6> 汚染 

補償対象外にいら立ち

 五十年前、水爆「ブラボー」がさく裂した瞬間を、アイリンラプラプ環礁にいた弁護士ジャック・アケングさん(55)は覚えている。

 「忘れやしない。北の空が光り、ドアのすきまから部屋の中に、白い強烈な光が差しこんだ。家も激しく揺れたんだ」

 クワジェリン環礁イバイに開いている法律事務所の壁に、マーシャル諸島の地図が張ってある。古里アイリンラプラプは、ビキニ環礁から南東に約八百キロ離れている。

 「アトミックボム(原爆)ではないか、と父が言ったんだ。どういうわけか、しばらくタンクにためた雨水が濁って飲めなくなった」

 ブラボーは広島に投下された原爆の千倍の威力だった。米国は、実験場に使ったビキニや、その約百六十キロ風下で放射性降下物を浴びたロンゲラップなど、計四環礁については核実験の被害があったと認める。

被害認められず

 しかし、アイリンラプラプなどへの被害は認めない。例えば、ビキニの南東約四百五十キロにあるアイルック環礁にも放射性物質が降ったとする米エネルギー省の文書が公開されているのに、補償の対象から外したままとなっている。

 アケングさんは、一九六〇年代にかけて、相次いで家族を失う。「姉は子宮がん、弟と妹は甲状腺がんで母は胃がんだった」。うち弟と妹は一―二歳の幼い死。父は九九年、やはり甲状腺障害で亡くなった。

 「なぜなのか。がんや甲状腺障害は放射線のせいではないのか。家族の死は、核実験の影響だと考えても、おかしくないだろう」。アケングさんの口調は熱を帯びる。

 ヒバクシャの病状から核実験被害を裁定し、米国からの補償金を分配している核実験被害補償法廷は、独自の判断で、計六十七回の核実験期間中にマーシャル諸島に住んでいた人すべてを裁定の対象にしている。米政府が、ネバダ州での大気圏核実験で、放射性降下物が到達すると認めた範囲に、ほぼ重なるからだ。

頼むから調べて

 マーシャル諸島政府も二〇〇〇年九月、四環礁以外が補償の対象になっていない現状を取り上げて米国に追加補償を迫った。だが、願いはまだ実らない。

 「マーシャル中に放射能は拡散しているのさ。頼むからウオットも調べてくれよ」。イバイ近くのクワジェリン空港で、ロンゲラップ環礁に向かう飛行機を待っていると、空港職員ナマール・ナーションさん(45)が、こちらが新聞記者だと知って詰め寄ってきた。

 ウオットは、ロンゲラップの南西約百三十キロにある環礁。ロンゲラップに降った「死の灰」は、自分の古里も汚染しているに違いない―。

 「僕は科学者じゃないから分からない。でも、放射能はちりやほこりと交じり、とっくに広がっているんだ」。見えない恐怖が、マーシャル全体を覆う。

(2004年2月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ