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連載・特集

ビキニ被災50年 第1部 マーシャルの島民たち <7> 女性

追加補償へ手取り合う

 ビキニ環礁出身者が多いエジット島の教会に、近くの首都マジュロから来たヒロコ・ランギンベリックさん(60)の姿があった。マーシャル諸島初のヒバクシャ組織「ERUB」の会長を務める。

 日曜朝の礼拝を終えると、ランギンベリックさんは全員に呼びかけた。「間もなく三月一日は、水爆実験『ブラボー』から五十周年。補償を勝ち取るため、みんなで手を取り合い、大きなムーブメント(運動)を起こしましょう」

 小さな教会は、割れんばかりの拍手喝さいで揺れた。ウクレレを手に、歌と食事の交流会が続く。

 ERUBの名前は、米国が、核実験被害があったと認める四つの環礁、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリック、ビキニの頭文字を取った。マーシャル語では、くしくも「破壊」を意味する。

死産や流産体験

 昨年五月の結成以来、マジュロにある米大使館前で追加補償を求めてデモ行進したり、体験を話す集いを重ねたりして仲間を増やしてきた。これまでのマーシャルにはなかった行動的な「ヒバクシャ運動」のメンバーは今、六十人を超える。母娘二代の参加もある。

 「なぜか集まったのは女性が中心。女性は二重の苦しみを味わったからかもしれないわね」

 ランギンベリックさんは自らの体験を語りだした。半世紀前の核実験ブラボーの時、ロンゲラップ環礁にいた。見たこともない白い粉を浴び、吐いた。眠れない夜が明けて気がつくと、手足や首がやけどしたようになっていた。

 三日後、米軍にクワジェリン環礁の基地に連れて行かれ、海で身体を洗うように言われた。毎日血を取られ、皮膚を取って調べられもした。髪の毛も抜けた。

 悲しい思い出は、それで終わりではない。「安全」と言われたロンゲラップに帰り、残留放射能の危険を察知して脱出。その間、ランギンベリックさんは死産と流産を三回体験した。

 核実験との因果関係は分かっていないものの、ロンゲラップでは「ジェリーフィッシュ・ベイビー」(クラゲのような胎児)と呼ばれる出産異常も多かったとの証言もある。

4環礁でツアー

 やはりロンゲラップ出身のERUB事務局長リージョン・エクニアングさん(57)は、七回の流産を重ねた。育てた三人は養子だ。

 「妊娠するたびに、だれもいない場所で、米国人医師に、水のようなものを飲まされた。何かの薬だったのだろうか」

 真相はいまだに分からない。ブラボーと同じ三月一日が誕生日というエクニアングさんは「白い粉が、人生最悪のバースデープレゼントだったのよ」と嘆く。

 ERUBは、ブラボー五十周年をとらえ、マーシャルの核被害の実態を世界に訴えようとしている。今月二十八日、チャーター機で四環礁を巡るツアーをする。米国をはじめとする各地のメディアなどに、参加を呼び掛けている。

(2004年2月19日朝刊掲載)

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