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[ヒロシマの空白] 被爆地の戦後資料 保管を 所有の森下さん 寄贈先探す

世界平和巡礼関連・広島八六友の会機関紙…数万点

 20代から平和活動に力を注いできた被爆者の森下弘(ひろむ)さん(91)は、広島市佐伯区の自宅に何万点もの関連資料を保管している。原爆資料館(広島市中区)などにも残っていない希少な資料もあり、専門家は「歴史的価値は極めて高い」と評する。森下さんは後世に残そうと整理を進めており、寄贈先の公的機関を探している。(田中美千子)

 資料は多岐にわたる。例えば1964年、後に広島市特別名誉市民となる米国人の平和活動家、故バーバラ・レイノルズの提唱で実現した「世界平和巡礼」の関連資料。体験証言のために被爆者一行で欧米各国を回るという前例のない試みに森下さん自身も加わった。参加者名簿や行程表、千枚を超える写真など、旅の全容を伝える資料を残している。

 平和巡礼で、一行は被爆者として初めて原爆投下時の米大統領だったトルーマンと対面した。その歴史的瞬間を捉えた写真に加え、対話の内容や自身の思いをつづったメモも保管している。

 森下さんは広島一中(現国泰寺高)3年だった14歳の時、爆心地から約1・5キロの学徒動員先で被爆。母を亡くし、自らも顔や手足を焼かれた。広島大卒業後は高校の書道教師となり、平和教育にも尽力した。63年、独自に始めた原爆に関する高校生の意識調査は県内外に広がり、85年まで継続。所蔵資料には各年の回答用紙の原本も含まれる。

 このほか原爆ドーム(中区)そばで土産物店を営み、メディアに「原爆1号」と呼ばれた故吉川清さんらが中心となった初期の被爆者グループの一つ「広島八六友の会」の機関紙は、ガリ版刷りの1~4号が残る。55年発行の1号は、原爆の子の像のモデルとなった佐々木禎子さんの死去などを伝える内容。原爆資料館も所蔵していないという。

 森下さんは「事実を残そうと何でも記録するよう努めてきた。被爆者がいない時代にも原爆のことを知ってもらえるよう、きちんと保管してもらえる寄贈先を探したい」と力を込める。2年前に資料を調べた広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の久保田明子助教は「多種多様で、被爆者運動の草創期がたどれるものなど一つ一つの価値も高い。散逸させないよう一体的に残すのが望ましい」と話している。

(2022年4月16日朝刊掲載)

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