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連載・特集

『生きて』 被爆教師 森下弘さん(1930年~) <1> 平和教育に使命感

顔のケロイドに葛藤も

 被爆者の森下弘(ひろむ)さん(91)=広島市佐伯区=は、多彩な顔を持つ。書家で詩人。高校教諭を定年退職した後は、大学教授として書を教えた。そして、その半生をささげてきたのが平和活動だ。平和教育に情熱を注ぎ、国内外での発信にも打ち込んできた。草の根で核兵器廃絶を目指すNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(西区)の名誉理事長でもある。

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 肩書か…そうですねえ。被爆教師でしょう。子どもたちに接している自分は、原爆に遭った体験を伝える使命がある。戦争を阻止するにはどうすればいいか、自ら考える人間を育てたい―。そう思ってきました。

 平和活動と距離を置いていた時期もあるんです。どちらかといえば内向的な性格でね。ケロイドが残る自分の顔を受け入れられなかった。学生時代に「君こそ反戦運動の先頭に立つべきだ」と求められると、「この顔を看板にしろと言うのか」と反発を覚えた。「醜い顔で周りを不快にさせていないか」と悩み、生徒と向き合えない日々もありました。

 でも、いろんな出会いに背中を押された。妻常子(ひさこ)(87)と3人の子どもの存在は大きいです。長女が生まれた時、その圧倒的な生命力に感動したことも大きなきっかけになった。もう幼子を犠牲にしてはならないと、痛切に思ったんです。

  ≪米国出身で後に広島市特別名誉市民となる平和活動家、故バーバラ・レイノルズにも影響を受けた≫

 1964年、バーバラさんが提唱した「世界平和巡礼」に参加したことが、その後の活動に道筋を付けてくれた。広島、長崎の被爆者が初めて、体験を語るために欧米各国を巡ったんです。75日間もかけて。証言に共鳴してくれる人々の姿に触れ、私も使命感を覚えました。

 その後も各国を巡る機会を得た。2004年、ウクライナやロシアも訪ねました。あの豊かな農地は今や戦場と化し、ロシアは核使用をちらつかせている。近代兵器に比べればベビー級の原爆でもあれほど悲惨だった事実が、十分に知られていないんでしょう。悲しくてなりません。 (この連載は編集委員・田中美千子が担当します)

(2022年4月19日朝刊掲載)

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