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連載・特集

知られざるヒバクシャ 劣化ウラン弾の実態 分断の国 忍び寄る放射能 コソボ自治州 放置された汚染戦車

「ここが僕らの遊び場さ」 危険性を知らぬ住民

  研究機関なく、対策手付かず

 セルビア地方での取材を終え、ニーシュからコソボ自治州を目指した。橋が壊れたままなので迂(う)回したり、山道の悪路に難渋しながら二時間余で「州境」に到着した。

 「コソボの様子を知らせてほしい」。アルバニア系住民との分断を悲しむ通訳者のボジノビッツさんに見送られ米国、英国、ドイツ、フランス、イタリアのNATO五カ国を中心にした国際治安部隊に守られたコソボ自治州に入る。

 州境からプリズレンまでは約百キロ。英国兵の仲介でたまたまやって来た車をチャーターし、州都のプリシュティナを経て目的地へ。プリズレンからジャコバ、ペヤへ至るコソボ南西部が、劣化ウラン弾の集中攻撃を受けた地域である。

 戦時下のアルバニア系住民のほとんどは、隣国のアルバニアやマケドニアなどに避難していた。国際治安部隊に守られるように帰還した住民たちに、劣化ウラン弾のことを聞いても、知る者はいなかった。医療支援などに駆けつけている各国の非政府組織(NGO)のメンバーに尋ねても、情報を得ている人たちはほとんどいなかった。

 米国防総省や英国防省で取材した折、「コソボへ派遣している自国兵士の防護措置は取っているのか」と尋ねた。両省とも異口同音にこう答えたものである。「劣化ウラン弾や、劣化ウラン弾で破壊された戦車などには触らないよう指示している。必要な時は十分な防護措置を取るようにしている」と。

 しかし、その警告は住民やNGOの関係者には届いていなかった。「劣化ウラン弾? それは一体どんな兵器なのか。どういう影響を及ぼすのか…」。質問すると、逆にこちらが説明しなければならないことが多かった。

 ベオグラード近郊にあるビンチャ核研究所など原子力研究が進み、体制の整ったセルビアの科学者たちは、空襲が続く間も放射線の測定を始めるなど素早い対応を見せた。湾岸戦争や、ボスニア紛争でセルビア軍の戦車が少量の劣化ウラン弾で攻撃を受け、その影響を調べた経験があったからである。が、コソボにはこうした体制は整っていなかった。

 200頭の羊が全滅

 プリズレンに拠点を置くNGOの通訳者でアルバニア人のハジ・ホティさん(37)らの案内で、ジャコバ周辺を車で巡った。

 町はずれの農家を訪ねると、農作業中のアスドレン・スパヒアさん(27)が「元気がでない」と、アルバニア語で愚痴った。空爆が始まっても二百頭の羊を守るため、他の家族を避難させ、父親(75)と家に残っていたという。

 「セルビア兵の非道な行為からも、NATOの直爆からも免れた。でも、羊は全部死んでしまった。周辺に落ちた爆弾のために違いない」。スパヒアさん親子はまだ、一頭も羊を買えないでいた。

 ジャコバ市中心部にほど近いユーゴスラビア軍の軍事基地跡。道路を隔てて民家が立ち並ぶ基地跡には、劣化ウラン弾で破壊された戦車やトラックなどがそのまま放置され、少年たちが遊んでいた。

 「いつもこの辺で遊んでいるよ。薬きょうのような物があったら危ないから知らせるように外国の兵士から言われているので、前は連絡してたくさん片づけた。触ったこともある」。少年の一人、エドモンド・デマイ君(16)が屈託なく言った。

 「戦車は放射能で汚染されているから、そこに上ると危険だよ」。ホティさんの言葉に少年たちは「どうして。ここが一番遊ぶのにおもしろいのに…」と、不服そうに戦車から降りてきた。

 一度も報道なし

 ホティさんによると、地元の新聞やラジオでも、劣化ウラン弾の問題を一度も取り上げたことがない、という。

 ジャコバ周辺の治安を担当するイタリア軍の責任者に会いたい、と本部を訪ねると、玄関でガードする兵士たちが用件を取りつごうともせず、らちがあかない。コソボの行政を担う国連暫定行政支援団(UNMIK)の地元本部でも、「ここは担当ではない」のひとこと。責任の所在がはっきりしないままだった。

 「NATOの空爆でセルビア人を追い出せたのはうれしいけど、後に放射能を残されたのでは…。国際機関か専門のNGOの手で、科学的にきちっと調べてもらわないと、われわれも安心して暮らせない」とホティさん。

 劣化ウラン弾によるコソボの放射能汚染を心配するセルビア人科学者の顔が、ホティさんの憂い顔と重なった。

(2000年7月7日朝刊掲載)

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