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連載・特集

ビキニ被災50年 第1部 マーシャルの島民たち <8> 息吹

体験継承へ行事や研究

 首都マジュロにあるマーシャル短大の図書館で、長テーブルを囲んだ十人の市民が意見交換を始めた。マーシャル諸島政府は三月一日を「核犠牲者の日」と定め、記念行事を催している。その実行委員会の集まりだ。

「全員が被害者」

 今年はビキニ環礁での核実験「ブラボー」から五十周年の節目。メンバーたちは、当日の式典に必要な物品をリストアップし、効果的なPRや資金調達の方法を考え、写真展や高校でのヒバク体験証言など、関連行事のアイデアを出し合った。

 実行委コーディネーターのメアリ・シルクさん(44)は、短大付属機関の「核(問題)研究所」所長を務めている。それまで図書館の司書をしていて、核実験をめぐる文献や米公文書に触れた。マーシャルの人たちが、実験やその被害を知っていない、知らされていないと強く実感したという。

 「核実験はマーシャル人の暮らしを変えた。全員が核の被害者です」。その過去を若い世代とともに、自分の問題として共有したいと考え、シルクさんは一九九七年に研究所を設けた。

 翌年からは短大に「核コース」を開講した。週二コマの講義で、十人から二十人の学生に、核実験とその被害の歴史、ヒロシマとナガサキについて教えている。「もっと学びたい、何かしたい」と思う市民や学生たちと「核クラブ」も結成。そのメンバーが、三月一日に向けた実行委にも加わる。

 「若者たちが社会とつながり、活動に継続と広がりを持たせる。それが二度と同じ体験をしないことにつながる」。シルクさんの信念だ。

ヒロシマ伝える

 ブラボーの「死の灰」を浴びたロンゲラップ環礁出身者たちが暮らすクワジェリン環礁のメジャトで、小学教諭ピーター・アンジャインさん(32)に再会した。二〇〇二年春、日本の平和団体の招きで、被爆地広島を初めて訪れたとき、話を聞いて以来だった。

 開口一番、「今はヒロシマのことを伝えてるんだ」。被爆地で集めた写真資料などを示しながら六年生に話すのだと教えてくれた。

 「人間がヒバクするとはどういうことなのか、子どもたちに伝えたい。単なるマーシャルだけの歴史じゃないと思う」

 米国が何をしたのか、今何をしようとしているのか。マーシャル諸島が現在もミサイル実験基地になり、世界に核兵器が拡散している現実について、目を向けられる子どもたちを育てたい―と考え続けている。

 「僕は五十年前を知らない。だけど時々、ブラボーがなかったら自分は今、どんな暮らしをしているだろうかと考える。ブラボーは僕たち、さらに次の世代へと続いていく問題だ。今年が、それを考える鍵の年になるんだろうね」

 たて続けに言い、遠くを見渡した。マーシャルを囲む海のように瞳は澄み、輝いていた。(森田裕美)=第1部おわり

(2004年2月20日朝刊掲載)

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