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連載・特集

ビキニ被災50年 第2部 焼津から <3> 原爆マグロ 大量廃棄 船員は調べず

 米国の水爆実験「ブラボー」の被害は、第五福竜丸の乗組員にとどまらなかった。放射能を帯びた「原爆マグロ」が、全国をパニックに陥れた。

損害は20億円

 第五福竜丸が静岡県焼津市の母港に持ち帰ったマグロ約二トンから、七・五ミリレントゲンの放射線が測定された。人間が三十センチ以内に一時間いると障害が生じるとされる。東京・築地の中央卸売市場に運ばれていたマグロは、市場の片隅に埋められた。

 焼津だけではなかった。政府は、核実験があったビキニ環礁近海を航行した遠洋漁船のマグロ類の検査を義務付けた。その結果、マグロを廃棄処分したのは全国で延べ九百九十二隻。一隻で複数の出漁があり、国は船名や実数を公表していない。安全な魚も価格が急落し、水産業界の損害は約二十億円に上った。

 神奈川県三浦市の三崎漁港。市の委託で当時の状況を調べ、一九九五年に「ビキニ事件 三浦の記録」をまとめた地元のフリーライター森田喜一さん(69)によると、三崎での被災漁船は百五十隻を超え、損害額は全国最大規模だった。膨大な原爆マグロは、海に捨てられもした。

 それから半世紀。「三浦市民にとって、被災は遠い」と森田さん。グルメブームに乗り、地元はマグロ観光を売りにしようとはやる時代だ。「みんな本音のところでは、ビキニの話をしてもプラスにならないと思っている。語り継ぐのは難しい」。森田さんは地道に取材の蓄積を伝え、残す作業を続ける。

目立つ突然死

 しかも、当時の政府は、乗組員たちの健康状態を調査しなかった。

 「ビキニは忘れ去られている」と高知県ビキニ水爆実験被災調査団の副団長、山下正寿さん(59)=宿毛市。焼津以外の港にもそれぞれ、「もう一つのビキニ事件」があったと訴える。

 高校教諭だった一九八五―八六年、高校生たちと乗組員の追跡調査をし、八八年に一冊の本にまとめた。長崎市で原爆に遭い、ビキニで水爆を体験したという「二重ヒバクシャ」の存在も突き止めた。

 半世紀を前に昨年十一月から、山下さんたちは再調査を始めた。電話で安否を尋ねる作業は、多くの死と直面する気の重い作業だった。突然死が多かった。被曝(ひばく)との因果関係は分からない。

初の健康診断

 「マグロは検査されても、人間の被曝は顧みられなかった。その全容解明こそが、事件を忘れないことにつながる」。そんな山下さんたちの声が行政を動かした。高知県は新年度、初めて乗組員たちの健康診断をする。

 東京都江東区の第五福竜丸展示館そばに、市民募金で二〇〇〇年に建てられた石碑がある。「マグロ塚」の素朴な文字は、第五福竜丸乗組員だった大石又七さん(70)が揮ごうした。「風化させたくない」との思いをこめ、わざわざ字を習った。

(2004年2月26日朝刊掲載)

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