×

社説・コラム

[ひと まち] 平和の願い 武力に勝る

 「平和」の尊さを感じたい一心で広島に1月末から滞在し、毎日のように平和記念公園(広島市中区)に足を運んでいるという。アゼルバイジャン出身のネエマット・ミルザさん(23)=中区。「ここに来て、心を落ち着かせています」と流ちょうな日本語で語る。自らの苦い従軍経験を思い起こしながら、同じく旧ソ連だったウクライナの行く末を案じている。

 ミルザさんは、首都バクーのバクー国立大で日本文学を学び、3年生の時は1年間、群馬大に交換留学した。2020年6月の大学卒業と同時に、徴兵のため軍に入隊した。

 わずか約3カ月後、アゼルバイジャンと隣国アルメニアが領有権を巡り衝突を繰り返しているナゴルノカラバフで紛争が勃発。兵士に食事や制服を配布し、前線に送り出す任務に就いた。射撃をはじめとする厳しい訓練も重ねた。「頭上を銃弾が飛び交う中、仲間の兵士の遺体を引き揚げたこともある」

 当時は「自分の国は自分たちで守ろう」と考えることで精いっぱいだった。「誰もが、敵を打ち負かすことだけに集中していた」と振り返る。同年11月の停戦合意は、事実上のアゼルバイジャン勝利と言われる。ミルザさんも歓喜した。

 だが、「戦勝」のもうひとつの現実を突きつけられる。1年間の兵役を終えて古里に戻ると、幼なじみや友人の姿はなかった。ミルザさんと同じように戦場に送られ、命を落としていた。両国の兵士と市民、計数千人が戦闘の犠牲になったとみられている。「国が勝っても、息子が帰宅することのない親や家族は泣いている。戦争になった時点で、全員が負けだと思う」

 この思いは、父が語ってくれた苦い体験も土台となっている。旧ソ連崩壊の前年だった1990年、ソ連軍がバクーを武力制圧した。大学生だった父親は命を賭して抗議活動に加わった。「市民が犠牲になる光景を目の当たりにした」と何度となく聞かされた。

 今年に入り、留学で大好きになった日本での暮らしを再び望んだ。今度は、焼け野原から立ち上がり、報復ではなく平和を訴える被爆地へ―。新型コロナウイルス禍で入国制限は厳しかったが、日本の知人を頼ってビザを取得。ロシアによるウクライナ侵攻の一報は、広島で聞いた。

 原爆ドームの周りをゆっくりと歩き、心の奥に残る戦争の爪痕を癒やしながら、ウクライナの市民のことを思っている。ドーム前で市民が軍事侵攻に抗議する集会を開いているのを知ると、輪に加わる。可能ならばこの街に住み続けたい、と思うようになった。「平和を大切にする気持ちこそが、武力より強い」。被爆地でそう心に刻んでいる。(湯浅梨奈)

(2022年4月23日朝刊掲載)

年別アーカイブ