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連載・特集

[ウクライナ侵攻 被爆地の視座] 広島市の被爆者 田中稔子さん(83)

武力でなく外交努力を

 子どもの姿が消えた幼稚園、遊園地跡にたたずむ観覧車…。2012年4月、ウクライナのチェルノブイリ原発を訪れた。1986年の原発事故を受けた立ち入り制限区域内は、まさに廃虚だった。原発事故で暮らしを奪われた人々が、ロシアの侵攻で同じ事態に直面していると思うと、怒りを通り越して悲しさを覚える。どのような国家間の問題も、武力ではなく外交努力で解決されるべきだ。

 ウクライナを訪ねたのは11年に東京電力福島第1原発事故が起きたことがきっかけだった。なぜ原発の事故が繰り返されるのか。放射線の影響に長年苦しみ続けた被爆者として、危機感に突き動かされた。今回の戦争で激戦地となった首都のキーウ(キエフ)近郊では原発事故の被災者と面会し、被爆体験を証言した。

 生活を必死に再建していた被災者は、放射線の人体への影響や政府の補償についての情報を切実に求めていた。地下鉄の入り口では物乞いをしている被災者がいた。今、キーウ近郊では多くの民間人が殺害された跡が見つかっている。

 市民が命を落とし、逃げ惑っている同国の現状が77年前の広島と重なる。6歳だった私は、爆心地から約2・3キロで登校中に被爆した。腕や頭、首を焼かれ、生死の間をさまよった。12歳の頃、白血球の数値異常と診断され、口内炎や倦怠(けんたい)感に悩まされた。

 市民を傷つけ、命を奪うことに何の価値があるのか。武力の応酬は軍拡競争に拍車をかけ核兵器が使用されるリスクも高める。歴史を振り返れば分かるはずなのに繰り返してしまう。ロシアによる侵攻や核兵器を使用するとの威嚇は、武力に頼ってしまう「人間のさが」を具体的な形で見せつけられているようだ。

 生き残ったものの責務として国内外で被爆体験を証言し、次代を担う若者たちとも交流してきた。人々の体をむしばみ、世界を破滅させることができる核兵器は悪そのものだ。そのことを知っているはずなのに、なぜ手放さないのか。ごまめの歯ぎしりかもしれない。だけど、被爆者として核兵器のない世界を訴え続けたい。過去の歴史を繰り返さないためにも。(聞き手は小林可奈)

(2022年4月26日朝刊掲載)

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