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連載・特集

ビキニ被災50年 第2部 焼津から <5> 針路 草の根平和活動 じわり

 第五福竜丸の母港だった静岡県焼津市に昨年六月、ビキニ被災を学び、伝える市民グループ「ビキニ市民ネット焼津」が誕生した。月一回程度、幹事会や学習会を重ねている。

 代表は、東京から十二年前に焼津に移り住んだ静岡福祉短大副学長の加藤一夫さん(62)。三月一日の「ビキニデー」に、原水爆禁止運動団体などが市内で開く集会に参加してみた。「市民のものになっていない」と感じた。アフガニスタン空爆やイラク戦争が始まったときも、市民に目立った動きはなかった。

公開講座が機

 「かつて、焼津を原点に草の根から核兵器反対の運動が生まれたように、市民の日常の暮らしからビキニ被災をとらえ、核兵器廃絶や平和について考えることはできないだろうか」。加藤さんはまず二〇〇一年、短大に公開講座「焼津平和学」を開設した。

 受講生の中に、第五福竜丸の元乗組員、見崎吉男さん(78)の姿があった。見崎さんは被災当時の心境や、その後の人生について話してくれた。その体験をもっと広く共有したいと、市民ネットの構想は、受講生たちの間で持ち上がった。

メンバー40人

 メンバーは今、四十人いる。被災への「向き合い方」について意見を戦わせる。元乗組員や家族の証言を聞き、当時を知る市民の手記をはじめ各種の資料を収集。地元の医師や科学者を招き、放射線被曝(ひばく)や乗組員の健康状態などについて学習会もしている。

 「素人の集まり。大々的なアピールは無理だけど、できることからやっていきたい」。加藤さんは淡々とした口調に、熱意を込める。

募金集め保存

 第五福竜丸は被災後、数奇な運命をたどる。東京水産大の練習船として使われ、民間に払い下げられた後、廃船に。木造の船体は東京・夢の島に放置され、別の船に搭載されたエンジンは和歌山県沖に沈んだ。いずれも市民運動と募金で元の姿に戻され現在、東京都江東区の都立第五福竜丸展示館で保存されている。

 展示館は、五十周年記念プロジェクトに乗り出した。ビキニ被災をテーマにした現代芸術や写真などの企画展、全国巡回展など約十事業。この十四日は、常設展示をリニューアルし、図録の出版にもこぎつけた。

 「若い世代に事件を伝えるだけではなく、世界に核の脅威を知らしめたこの船が、今ここに存在する意義を、今こそ伝えたい」。安田和也学芸員(51)は一連のプロジェクトの狙いを強調する。

 「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」。第五福竜丸乗組員で最初の犠牲者だった久保山愛吉さんの「遺言」が語り継がれてきた。核をめぐる最近の世界情勢を思うとき、安田さんはこの言葉をかみしめる。(森田裕美)=第2部終わり

(2004年2月28日朝刊掲載)

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