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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 核とアート 「当事者性」を問い続ける 芸術家集団「Chim↑Pom」メンバー 卯城竜太さん

 ヒロシマや原発事故、表現の自由などの社会問題に体当たりするスタイルで作品を生み出してきた東京の芸術家集団「Chim↑Pom(チンポム)」。17年の歩みをたどる回顧展が東京・六本木の森美術館で開かれている。14年前、原爆ドームの上空に「ピカッ」の文字を描く騒ぎを起こし、批判にさらされた。彼らはロシアがウクライナに侵攻し、核使用の危機が語られる状況をどう捉えているのだろうか。リーダー格の卯城(うしろ)竜太さん(44)に聞いた。(論説副主幹・山中和久、写真も)

  ―回顧展で「ピカッ」をゲリラ的に描くさまを記録した映像作品「ヒロシマの空をピカッとさせる」や大量の折り鶴を借り受けて制作した「ノン・バーナブル」などのヒロシマ作品はどう受け止められていますか。
 広島での一連の経緯は年表にして全部見せています。僕たちの活動には賛否両論があります。そのこと自体が大事だと思っています。

 このタイミングで折り鶴を見ることになった感想を、来場者からたくさん聞きました。折り鶴を見て、ヒロシマではなくウクライナや身近な人のことを考えた人は多いのかもしれません。モデルのシャラ・ラジマさんは会場からウクライナへ祈りたいと申し出てくれ、来場者が加わっていました。そうしたプラットフォームとして機能していくことの重要性も感じています。

  ―核は長く関わり続けているテーマです。
 「ピカッ」で問うた「核への無関心」が福島第1原発事故であらわになりました。今、ロシアが原発を攻撃し、プーチン大統領は核兵器使用まで言及しています。日本の政治家も「核共有」を語り出しています。

 「ピカッ」をやった時、誰かが「被爆者がいなくなってからだったら良かったんじゃない」と言ってました。世界中で核への倫理観が下がっている状況は、被爆者の生々しい訴えが世の中から消えていくことと裏腹な感じがします。広島県被団協理事長だった坪井直さん(2021年10月、96歳で死去)ならどうしただろうかと考えます。

  ―「ヒロシマの空をピカッとさせる」を制作することになったきっかけを教えてください。
 広島市現代美術館の公募展で大賞を受賞した後、個展を開けることになりましたが、審査員の一人に「おまえら、原爆ネタだけはやるなよ」と言われたことに違和感を覚えたんです。

  ―どんな違和感でしたか。
 当事者性の問題というか。広島の原爆ならまさに被爆者が当事者だけれど、核兵器となれば今を生きる僕ら全てが当事者になるはずです。「核の傘」の下で平和を謳歌(おうか)している当事者ではあるわけで。メンバーの間にも「俺たち原爆と関係ないじゃん」「触れていいのか」といった感覚がありました。原爆に対する若者のリアルを表現するにはどうしたらいいか、考えました。

  ―3日後には被爆者団体を前に謝罪会見を開くことになりました。どういう心境でしたか。
 事前告知の不徹底は謝りたかったが、作品については謝るべきではないと思っていました。欠席は間違ったメッセージになると思い参加を決めました。

 会見が終わって席を立つ前、坪井さんが「まあ諦めんで頑張りんさいよ」と声を掛けてくれました。へこむ若者を見て、つい出た言葉だったかもしれませんが、あの一言があったから僕らはヒロシマと向き合い続けることができたんです。

  ―被爆者団体や広島のアート関係者と対話をし、作品を発表し続けています。東日本大震災では、いち早く被災地に入りました。アートの役割とは。
 東日本大震災の直後、アート界はフリーズしました。アートは食べられないし、人を助けられるものではない。そんな時、坪井さんから「不撓(ふとう)不屈」の筆書きがファクスで届き、背中を押してくれました。

 アートは無力です。でも何もしなかったら無力を証明するだけだと、被災地に向かいました。その思いが強い表現として作品になりました。広島で考え抜き、ぶつかり、協働した。その体験が活動に生きています。

■取材を終えて

 「ピカッ」騒動を「許しがたい」と反射的に思った一人だ。坪井さんのエールに応えるように、社会との接点で波紋を広げながら粘り強く周囲を巻き込む姿勢にチンポムの真価がある。

うしろ・りゅうた
 東京都生まれ。6人のメンバーからなるChim↑Pom(27日からChim↑Pom from Smappa!Groupに改名)は05年結成。さまざまな社会問題に切り込み、メッセージの強い作品を次々と発表している。共著に「なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか」など。回顧展「ハッピースプリング」は東京・六本木の森美術館で5月29日まで。

(2022年4月27日朝刊掲載)

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