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憲法と核兵器 <上> 「共有」容認論に危機感 日本被団協事務局長 木戸季市さん

 日本国憲法は9条で戦力不保持をうたい、歴代政権は国が持てる自衛力を「必要最小限度」としてきた。ここに核兵器は含まれるのか。広島、長崎の被爆者にすれば自明の理ながら、憲法施行75年の歴史では、しばしば論議の対象となってきた。この春も―。

 ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核兵器の使用を示唆した。これを受け、自民党などの保守強硬派の国会議員らが、日本の領土内に米国の核兵器を置き、共同運用する「核共有」政策を議論すべきだと提起する。中国や北朝鮮の脅威から国を守るためには必要ではないかと。

 「時代が逆行しているようだ。国民を核戦争に導き、国土を廃虚とする危険な考えは許されない」。こう断じるのは日本被団協事務局長の木戸季市さん(82)だ。長崎市で被爆し、いまは岐阜市で暮らす。核兵器を巡り、政治家たちはどんな議論をしてきたか。被爆者たちはどう聞いたか。木戸さんは記憶をたどる。(中川雅晴)

被爆が原点 非戦の願い 「平和主義が正念場に」

 日本国憲法が施行された1947年。日本被団協事務局長の木戸季市さん(82)は7歳だった。2年前に被爆。顔に大やけどを負う。消えなかったのは、原爆で長崎が「黒い街」にされた恐怖。救いとなったのは、あの頃の父の言葉だった。

 「もう日本は戦争をしないからな」。木戸少年は喜び胸に刻む。あんな戦争は二度とやるもんか―。それからの日本は復興、経済成長へと突き進んでいく。

 憲法施行10年の57年。時の首相である岸信介氏が国会でこう答弁する。「自衛の範囲を超えない限り、核兵器を保有しても憲法違反ではない」。広島、長崎では「あの日」がまだ生々しかった時代。そこに為政者は心を寄せようとしない。

 被爆20年の節目もそうだった。65年の日米首脳会談で佐藤栄作氏は「(前年に初の核実験をした)中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきであると考える」と述べた。憲法を踏みにじるような核保有発言が為政者から相次ぐ中、10代から20代までの青春を送っていた木戸さんはどうしていたか。

 京都の同志社大で学んだ後、岐阜市の短大で教壇に立つ。歴史学を受け持ったが、自らが「証人」の原爆投下については学生たちに語らなかった。33歳で結婚した妻に対しても。「体験をしゃべるのがつらかった。あの頃は社会に被爆者への偏見もあったので」

 核兵器を巡る国会での論争に終止符が打たれたのは71年。「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則が衆院決議を経て国是となる。「被爆者の思いの結晶だ」と、木戸さんが公の場で口にするのは、まだまだ先のことだった。

 「被爆者として生きる」と決めたのは五十路(いそじ)だ。岐阜県と日本被団協が被爆者のために開いた健康相談会に足を運び、詰めかけた100人以上の姿に「支えを求める人のために立ち上がろう」。91年、岐阜県原爆被害者の会を設立する。

 それからは反核平和運動に人生をささげる。2007年、広島県被団協理事長などを務めた故坪井直さんたちと「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」を立ち上げ、憲法学習会を各地で開催。安倍晋三内閣が14年に集団的自衛権の行使容認を閣議決定した際は「被爆者の9割が反対」という調査結果を全国会議員に郵送した。

 この春、日本被団協は憲法アンケートを実施。被爆者を中心とする約8千人に「憲法9条、平和主義が変えられようとしています。あなたの思いのたけを言葉にしてください」と呼び掛けた。

 ウクライナ情勢に乗じ、「核共有」発言まで飛び出す被爆国。「核兵器を持てば戦争を抑止できるというのは空論だ。今、戦後の日本が守ってきた憲法が正念場に立たされている」。木戸さんにはそう映る。

(2022年4月30日朝刊掲載)

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