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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 聞く 記す 続く取り組み 被爆者 反核・平和運動…長崎の戦後史

「のこす会」2冊目出版 広島で意見交換

被害の総体「議論の扉を」

 研究者でつくる「長崎原爆の戦後史をのこす会」が、被爆者に加え、長崎で平和運動や平和行政などに関わってきた人たちの聞き取りを進めている。長崎に散在する資料の調査も続け、「原爆後の75年―長崎の記憶と記録をたどる」=写真=にまとめ、書肆九十九(しょしつくも)(東京)から出版した。のこす会の取り組みから、被爆体験継承の可能性を考える。(森田裕美)

 「被爆者らの運動や闘争の戦後史をたどることは、いまなお続いている原爆の被害や影響を明らかにすることになる」。のこす会の新木武志代表が「原爆後の75年」の冒頭に記す。被爆時の出来事だけ語り継いでも原爆被害の全体像は伝え切れないということだろう。

 同書は2部構成で、前半は聞き取り調査の報告。30人余りへの聞き取りを踏まえ、被爆前後の様子や戦後の反核運動、平和教育や被爆者調査などさまざまに原爆と関わってきた人の声を収めた。解説やコラムを付け、前提となる知識がない読者も理解できるようにしている。

 後半は、長崎県内の各組織や団体が、原爆被災に関する資料をどの程度持っているか調査した結果や保管状況をまとめた。

 このほど広島大東千田キャンパス(広島市中区)であった合評会には広島県内外から研究者ら約30人が集い、活発に意見を交わした。

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 のこす会のメンバーからは、聞き取りを進める上での気付きや課題が示された。被爆者運動などの創成期を知る人はすでに亡くなり、世代交代が進んでいること。聞き取った内容を裏付ける資料が残っていないケースもあったこと。

 また、証言が「定型化」「類型化」しないよう意識していても、聞き取った口述を文章にする段になると結局は語り手の意思や紙幅の関係もあり全ては記録できない、といったもどかしさが明かされた。女性や障害者、外国人被爆者の語りなど、公には記録が乏しいマイノリティーの「記憶」を残す必要性についても語られた。

 一方、これまで目を向けられてこなかった被爆前の暮らしや戦後の歩み、長崎の被爆者5団体などの多様な語りを、「今」の視点から振り返り、記録していることを評価する意見も目立った。被爆者団体の人間関係の複雑さや財政的な問題など内情を語ったものもある。これも、公の記録には残りにくい内容だ。

 同会メンバーの広島市立大広島平和研究所の四條知恵准教授は「歳月が過ぎ、もう聞けない声はたくさんあるが、逆に今だからこそ語ってもらえる話もある」と強調する。

 「記憶は、新たな情報によって更新されていくもの」と広島大平和センターのファン・デル・ドゥース・ルリ准教授は述べる。広島の原爆資料館を訪れた観光客が口コミ旅行サイトに投稿した言葉の分析結果を示し、観光客が被爆地に身を置くことで「当事者」に近づく様子を紹介。「継承とは、いかに『当事者感』を持てるか」だと強調した。その上で、聞き手という当事者となって記録し、アウトプットする、というのこす会の活動自体が「継承の一形態」だと指摘する。

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 のこす会メンバーで合評会を企画した広島大の中尾麻伊香准教授は「広島でも議論の扉を開きたい」と話す。被爆から77年を迎えようとする今なお語られていない記憶や「空白」は、広島にもあまた存在する。

 被爆地の市民は、原爆が引き起こした現実と関わり合って生きていかざるを得ない。広島・長崎の戦後の歩みを振り返り、残すことは、原爆被害の総体を明らかにすること―。それを胸に刻まねばならない。

長崎原爆の戦後史をのこす会
 2013年、被爆者として長崎の体験を伝える活動に尽くした広瀬方人さん(16年に85歳で死去)と現代表の新木武志さんたちで発足した。広瀬さんは、被爆者の戦後の歩みや、被爆していない人も含めた長崎の経験を明らかにし、記録する必要性を訴えていたという。16年には記録集「原爆後の七〇年」を刊行。2冊目となる「原爆後の75年」を経て、被爆80年に向けた取り組みを継続する方針だ。

(2022年5月2日朝刊掲載)

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