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被爆者、差別・苦しみつづる 相談員の会、「生きる」第6集

 原爆被害者相談員の会(広島市中区)は被爆者の自分史をまとめた「生きる」第6集を発刊した。広島、長崎で被爆した8人が、癒えることのない苦しみや核兵器廃絶への訴えをつづっている。ウクライナに侵攻したロシアが核兵器の使用を示唆する中、被爆の実態を広く知ってもらうことを願う。

 8人のうち2人が胎内被爆者で、6人が1~16歳で被爆した。新型コロナウイルス禍で行動が制限される中、サポーターを務めたソーシャルワーカーやケアマネジャーたちと面会や電話、手紙でやりとりを重ねて執筆。資料などで事実関係を確認してもらうなどして、約2年がかりで経験や思いを書き上げた。

 「やっと一五(じゅうご)歳のときの思い、気持ち、無念さを書くことができました」。そう記したのは、胎内被爆者の三村正弘さん(76)。あの日から15年後の中学3年の時、ともに広島原爆で被爆した父母を相次いで亡くした。兄と2人の生活で家事全般を担い、貧しさに苦しんだ日々を、医療ソーシャルワーカーとして歩んだ半生とともにまとめた。

 2歳の時に被爆し、両親を失った山田寿美子さん(78)は親戚の家を転々とした幼少期をつづった。「どの家も自分の居場所はなく、廊下の片隅に風呂敷包みを置かせてもらい、そこで着替えをする日々」。自ら命を絶つことまで考えたつらい過去を振り返り「二度と自分たち被爆者の苦しみの犠牲者を生み出してはいけない」と記す。

 このほか、結婚差別や体調不良、生き延びたという罪悪感に苦しんだ経験、放射性物質を含む「黒い雨」にまつわる体験も書かれている。広島で被爆した津島休映さん(91)は、皮膚の垂れ下がった人や頭から血を流す人たちを見たあの日を「この世の地獄絵」と描写。自身が被爆した14歳と同年代の中国新聞ジュニアライターたちに体験を語った経験を踏まえ、記憶の継承の大切さにも触れた。

 ソーシャルワーカーや被爆者、研究者たち約80人でつくる同会は、1995年に被爆者の自分史「生きる」を創刊。第6集はA5判205ページで、千部を出版し、全国の図書館や被爆者団体などに寄贈した。

 同会は「人間らしく死ぬことも、人間らしく生きることも許さない核兵器の残虐性について知ってもらうため、若い人を含め多くの人に読んでほしい」と願う。同会☎090(7375)1211。(小林可奈)

(2022年5月2日朝刊掲載)

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