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連載・特集

『生きて』 被爆教師 森下弘さん(1930年~) <10> 世界平和巡礼

海外での発信に手応え

 世界平和巡礼では最初に米国を横断した。支援者のお宅に泊まって、学校や市民団体を訪ねたり、集会に出たり。善意の人が多かったです。原爆投下を正当化する人もいたが、誰もが私たちの声を懸命に聞こうとしているのは分かりました。

  ≪原爆投下時の米大統領、トルーマンとも対面。現地メディアは「歴史的な対面」と一斉に報じた≫

 会場はミズーリ州のトルーマン図書館。被爆者を代表し、故松本卓夫さん(広島女学院大元学長)が登壇し、われわれ8人ほどが下から見守る、という格好でした。トルーマンの印象は「年取ったな」という感じ。面会は何分だったと思います? わずか3分ほどですよ。私はメモ帳に「はじめはさすがに動悸(どうき)がした。なのに全くあっけない」「幼(おさ)ない命の沢山(たくさん)あることを考えなかったか」などと書き残しています。

 トルーマンは「二度と『ああいうこと』があってほしくない」と。戦争、原爆投下のどちらのことか分からなかった。もちろん、私たちが望んだ謝罪は一言もありませんでした。それどころか、原爆投下は多くの犠牲を防ぎ、戦争を終わらせるためだったと強調したんです。

 期待は裏切られたが、この巡礼は私の平和活動の方向性を決定付けてくれた。鬱屈(うっくつ)していた被爆者が、世界の主要都市で体験を発信したんです。被爆者同士で傷をなめ合うようなことじゃなくてね。聴衆も思いを受け止め、「原爆はいけない」と言ってくれる。投じた石が波紋を広げ、そうしてできた波に自らものまれていく―。そんな感じがして、はっきりと使命感を覚えたんです。

 ニューヨークの国連本部ではウ・タント事務総長に面会し、原爆被害を科学的に研究してほしいと要請した。モスクワでは約2千人の市民を前に核兵器廃絶を訴えた。予想もしなかったような大きなことが、私たちにもできるんだと思えました。冷戦さなかの国際情勢に触れることもできた。例えば東西ドイツ。日が暮れたら真っ暗な東側、夜も電灯が輝く西側の光景が印象的でした。

 どれも皆さんの助けでできたこと。特にバーバラ・レイノルズさんのすごさです。私財まで投じ、強い信念で実現させてくれたのだから。

(2022年5月3日朝刊掲載)

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