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社説・コラム

天風録 『オシムのヒロシマ』

 サッカースタジアムの建設が進む広島市の中央公園広場。かつて、サンフレッチェ広島との対戦を控えた市原(現千葉)がここで練習したことがある。芝こそ生えていたが、でこぼこだった▲映画「ドライブ・マイ・カー」でも注目された原爆ドームと原爆慰霊碑を通る「平和の軸線」。その線上と意識していたか、今となっては分からない。発案は元日本代表監督で、当時は市原を指揮していたイビチャ・オシムさん。先日訃報が届いた▲市原とサンフレでプレーした中島浩司さんは原爆資料館の見学も勧められたのを覚えている。選手の指導や会見で語られる言葉は機知に富んだ。サッカーに限らない、わが国への期待も込めて▲「日本は敗北から学んだお手本だと世界は思っている。歴史、戦争、原爆の上に立って復興した」。祖国の旧ユーゴスラビアを率いた時代に、民族紛争が起きた。家族離散など、波乱に満ちた人生を重ねた言葉だろう▲「広島からの声が届いてほしい人々ほど平和の声を聞きたがらないのは残念なことです」。日本代表監督として広島での小学生の国際大会に寄せたメッセージの一節だ。発信を続けよ、とのヒロシマへの遺言に聞こえる。

(2022年5月6日朝刊掲載)

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