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連載・特集

『生きて』 被爆教師 森下弘さん(1930年~) <14> 平和ミッション

終わらぬ核被害を実感

  ≪2004年、広島世界平和ミッションに加わる。核兵器保有国などに被爆者や若者を派遣するプロジェクト。広島国際文化財団が主催した≫

 世界平和巡礼の後、体験証言や平和学会出席のため、欧米やインド、中国などに行きました。70歳も過ぎて外国行きもそろそろ終わりかなと思っていた頃、この話が決まったんです。約5週間の長旅ですが、訪問先はロシア、ウクライナ、ボスニア・ヘルツェゴビナだと。平和巡礼で40年前にも訪ねたモスクワの変貌ぶりや、民族紛争があった地域に関心を持ちました。

 ロシアは豊かになり、アメリカナイズされたなとの印象でした。百貨店は商品が増え、プーチン大統領をデザインしたマトリョーシカまであった。私の話を熱心に聞いてくれた若者の姿も忘れません。「核の恐怖を身近に厳しく感じた」などと言ってくれた。核施設の爆発事故や、施設から垂れ流された放射性廃液で汚染された地域も訪ねました。つまり核被害の悲惨を知らない国ではないんです。なのに今、プーチン大統領は核使用をちらつかせている。国民の総意ではないと思いたいです。

 ウクライナではキエフ(キーウ)やハリコフを巡った。証言を聞いてくれた学生たちは今、どうしていることか。広大な麦畑もブナ林も美しい古都も戦場と化してしまい、やるせないです。チェルノブイリ原発にも行きました。事故発生から18年目でしたが放射線漏れの不安は続いていた。移住を余儀なくされた元住民も健康被害や生活苦を抱えていた。被害は終わっていないと感じました。

 この経験もあったからか、東京電力福島第1原発事故が起きた時は居ても立ってもいられなくて。翌年、1人で現地に行ってみたんです。バスを乗り継ぎ、規制線から様子を見ることしかできませんでしたがね。今回、原発は攻撃目標にもなった。やはり、自然エネルギーに置き換えていかないといけないのでしょう。

 ボスニア・ヘルツェゴビナは街中の建物に弾痕が残り、紛争の跡が生々しかった。違う民族だからと血を流し合い、破壊し合う。そんな過ちを何度も繰り返すほど人類は愚かでないと信じたいが、戦争はなくなってくれない。やりきれません。

(2022年5月7日朝刊掲載)

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