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連載・特集

『生きて』 被爆教師 森下弘さん(1930年~) <15> 被爆地の記録

次世代への継承目指す

 80歳を過ぎてもほそぼそながら修学旅行生たちに体験証言を続けてきた。新型コロナウイルス禍でも、頼まれればオンライン講演なんかを引き受けています。あとはね、資料の整理に力を入れているんです。

  ≪何万点もの平和活動の関連資料を自宅に保管している。専門家が「極めて貴重」と注目する資料も多い≫

 大学時代のチューターから「メモ魔になれ」と教わった。人の記憶は知れている、記録を蓄えなさいと。だから世界平和巡礼の間でも、日々の出来事や感じたことを書き続けた。写真もたくさん撮りました。参加者名簿や行程表、帰国後にまとめた報告書なども全て残してある。事実を伝える資料が残っていないと、何もものが言えませんから。資料が欠落し、事実が「なかったこと」にされるのも食い止めたいですしね。

 ただ、捨てられない性格もあって増える一方。資料部屋を増設しても家じゅうにあふれ、家族は諦め顔です。昨夏、本格的に整理を始めた。ワールド・フレンドシップ・センターの有志が手伝ってくれています。間もなく、私たち被爆者がいない時代がやって来る。その時、資料を基に原爆のことを知ってほしい。分類を終えたら、引き取ってもらえる広島の公的機関を探します。それは私がなすべき仕事だと思っています。

 できる限り、発信も続けたいですね。核兵器禁止条約ができたのは本当にうれしいが、廃絶の道のりはまだ厳しい。核を持つ国、それに日本政府を動かしていくには、それぞれの立場や力量でできることをしないと。私も努力します。若い人たちには戦争や核兵器に脅かされることのない人生を送ってほしいですから。

 これらが私の「終活」ですかね。誰の命もいずれは途絶える。原爆に遭った後は、生き延びた自分に課せられた使命と思って、平和活動に打ち込んできました。これからも一日一日を大事に生きたい。妻をはじめ、周りの人にいつも優しくあるようにしたい。そう思っています。=おわり

(この連載は編集委員・田中美千子が担当しました)

(2022年5月10日朝刊掲載)

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