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広島のサカスタ建設地で出土 被爆遺構展示に期待 輜重隊員遺族の有冨さん

「戦争は絶対に駄目 後世に伝わる場に」

 広島市中区のサッカースタジアム建設地で出土した旧陸軍の輸送部隊「中国軍管区輜重(しちょう)兵補充隊(輜重隊)」施設の被爆遺構を近くの緑地に展示する市の計画で、隊員の遺族の有冨輝明さん(71)が実現を心待ちにしている。毎年、輜重隊の軍馬を慰霊した石碑「馬碑」に花を手向けてきた輝明さん。遺構が注目され、戦争の悲惨さに思いをはせる若者が増えてほしいと願っている。(新山創)

 輝明さんの父、正一さん(1995年に84歳で死去)は輜重隊に所属し、中国に派遣された中隊の隊長だった。元隊員有志が90年に発行した部隊誌「馬繋杭(ばけいくい)」によると、正一さんの部隊は隊員187人と馬148頭で編成され、39年10月に宇品港から中国に渡った。正一さんは各地を転戦し、終戦後の46年6月に復員した。

 1880年に輜重兵第五小隊として発足した輜重隊は馬を訓練し、食料や弾薬を運ぶ役割を担った。市内に住む輝明さんは、普段は戦争を語らない父が戦友と酒を飲むと「馬は(中国から)帰ってこなかった」と口癖のように言っていたのを覚えている。「大切な馬を連れて帰りたかったのだろう」とおもんぱかる。

 計画によると市は、発掘調査で見つかった軍馬の手入れ場や厩舎(きゅうしゃ)の石畳計37枚などを、建設地から約100メートル南の緑地にある馬碑の周辺に展示する。また、スタジアムの敷地内には馬碑の場所を伝える案内板などを設ける予定でいる。

 広島で訓練していた輜重隊は原爆で多くの犠牲者が出た。1928年に建てられた馬碑は被爆に耐えた。輝明さんは年2回訪れ、ニンジンや花を供えている。ロシアによるウクライナ侵攻も踏まえ「戦争をすれば多くの命が失われてしまう。馬碑について知ることで、戦争は絶対に駄目だとの思いが後世に伝わってほしい」と話している。

(2022年5月10日朝刊掲載)

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