アフガン退避 市民が奔走 募金やビザ取得 元留学生山口へ
22年5月11日
受け入れに壁「条件 ウクライナ並みに」
イスラム主義組織タリバンが政権を掌握するアフガニスタンから、山口大(山口市)の元留学生の家族6人が4月末、山口県内へ退避した。留学や前政権で働いていた経歴から命の危険にさらされていたところ、山口市の市民団体が募金やビザ取得に奔走し、出国がかなった。しかし同国からの退避はいまだハードルが高く、専門家たちはウクライナ避難民と同等の受け入れ態勢を求めている。(山下美波)
「言葉にできない感謝がある。安全な場で幸せを感じている」。元留学生の20代男性は退避先で遊ぶ自分の子どもたちを見つめ、ほっとした表情で語った。留学後、アフガンに戻り地方官僚になったが、昨年8月にタリバンが実権を握ってから失職し、銀行口座は凍結された。殺された知人もいる。
困窮し、いつ殺されるか分からない状況で助けを求めたのが、留学時に交流があった「国際交流ひらかわの風の会」だった。SOSを受けた同会は、街頭募金やクラウドファンディングで約160万円を集め、渡航費や生活費を捻出した。就職先を探し、ビザ発給につなげた。東京の認定NPO法人REALs(リアルズ)の協力も得て、妻と0~5歳の子ども4人とパキスタンに逃れ、4月27日に飛行機で大阪に着いた。
近く、精密機械の部品を製造する県内の会社で働き始める。語学力を生かして海外展開を担う予定だ。ただ発砲や爆弾の幻聴が今も続き、精神的に不安定になることがある。アフガンから出国できない友人もおり、心配は尽きない。
ロシアのウクライナ侵攻のニュースも見るたびに心が痛む。アフガンも1979~89年、ソ連の侵攻を受けた。撤退後の混乱の中、タリバンが誕生した。男性の家族はパキスタンへ逃れ、男性も幼少期を過ごした。「ウクライナは農業が盛んで豊かな土地。とてもつらい」と唇をかむ。同時に「ウクライナ避難民のように、日本政府はアフガンの人を受け入れるハードルを下げてほしい」と訴える。
ウクライナ避難民は特例的に身元保証人なしでも入国でき、希望すれば就労が可能な在留資格へ変更もできる。多くの日本語学校や自治体も、無償で教育や住居提供をする方針を示している。
一方、千葉大の小川玲子教授(社会学)によると、アフガンの場合は保証人が必要で、日本での留学か就労が担保されないとビザは発給されない。小川教授の元には退避を望むアフガン人から「ウクライナ人に生まれれば良かった」との声も届いた。「日本の国費で学んだ元留学生が、日本とつながりがあることで迫害を受けている。政府は道義的責任を果たし、官民連携で受け入れ態勢を構築すべきだ」と小川教授は話す。
ひらかわの風の会は今後も募金活動を続け、今回の赤字分の穴埋めや当面の生活費、今もアフガンに住む他の元留学生への送金に充てる。同会のアドバイザー、岡孝則さん(67)は「市民団体には限界がある。国はアフガンにも目を向け、受け入れ態勢を整えてほしい」と求めている。募金の専用口座は西京銀行湯田支店、普通口座「2124280」。岡さん☎090(4802)1936。
(2022年5月11日朝刊掲載)