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連載・特集

被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ 炸裂 未来へメッセージ

原爆主題 幻の壁画 メキシコで発見

 太平洋のかなた、メキシコ市の郊外に今、「ヒロシマナガサキ」の異名を持つ巨大な壁画が眠っている。

 正式の題名は、「明日の神話」。中央で燃え上がる骸骨(がいこつ)は「核に焼かれる人間」を表している。7つのパネルに分割され、つなげば幅30メートル、高さ5.5メートル。膨大なエネルギーが画面にうねり、ほとばしる。

 作者は、岡本太郎。大阪万博の「太陽の塔」や「芸術は爆発だ」の名言で知られる、戦後日本で最強の個性を放ったアーティストだ。

 この壁画、1960年代末にメキシコで描かれたが、ほとんど人目に触れず、長く行方不明になっていた。それも不思議だが、そもそもこんな途方もない絵をなぜ、岡本は描いたのか。

 岡本はヒロシマをどうとらえ、何を訴えようとしたのか。被爆60周年の今年、探ってみたい。(道面雅量)

広島で常設展示の道探る

 行方不明だった壁画が見つかったのは二〇〇三年九月。岡本太郎記念館(東京都港区)館長の岡本敏子さん(79)が、メキシコ市在住のコーディネーターから情報を得て現地を訪ね、確認した。

 市中心部から車で約一時間。建築会社の資材置き場という殺風景な空間に、「明日の神話」はあった。パネルにはひび割れが走り、一部欠損もある。だが、絵の具のはく落は少なく、岡本ならではの激しい筆致と色彩の生気をとどめていた。

 「あったというより、ここにいたのね、生きていたのね、という感じ。跳び上がって喜びました」。敏子さんの声は弾む。

 不運な歩みをたどった壁画だった。一九六七年、メキシコの実業家が都心に建設中のホテルのロビーに飾るため、岡本に制作を依頼。岡本は、大阪万博に向けた激務のさなか、翌年から約三十回もメキシコを往復、二年がかりで描き上げた。

 ところが依頼主が資金繰りに行き詰まり、ホテル建設は中断。未内装のまま野ざらしになった建物に、壁画は死蔵された。

 やがて建物は転売され、壁画の行方についての情報は日本に届かなくなった。九六年、岡本は亡くなった。

 「TAROブーム」と呼ばれる岡本人気の再燃は、二十一世紀の幕開けと期を同じくして訪れた。死後、相次いで開館した岡本太郎記念館、川崎市岡本太郎美術館が、その人間像にあらためて光を当て、火付け役となった。

 著作の復刊や、評論、評伝の新刊が矢継ぎ早に続く。Tシャツや漫画のモチーフにもなり、若い世代の支持を集めた。

 「あの壁画をもう一度見たい。見せたい」。敏子さんら関係者が、高まる再評価の声に背を押されて本格的な調査に乗り出し、ついに探し当てた。

 敏子さんは今、壁画を日本に運んで修復、常設展示する道を探っている。被爆地広島は展示場所の候補。「この絵のメッセージを、ヒロシマから世界に発信できたら素晴らしい」と期待する。

 岡本は壁画制作を振り返り、こんな言葉を残している。

 「壁画は趣味的な美術作品でなく、社会に打ち出すピープルの巨大なマニフェスト(宣言)なのだ」

 「明日の神話」のマニフェストを読み解く旅を、メキシコから始めた。

岡本太郎年譜

1911年 漫画家岡本一平、小説家かの子の長男として現在の川崎市に生まれる
  29年 東京美術学校(現東京芸術大)入学。両親の欧州取材に同行し、日本をたつ
  30年 両親と離れてパリに1人残り、アトリエを構える
  31年 パリ大学の聴講生となる。以後、ジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトンら知識人と親交を深める
  40年 ドイツ軍のフランス侵攻により、最後の引き揚げ船で帰国
  42年 召集され、二等兵として中国を転戦する
  46年 復員。東京の自宅にあった滞欧作品は戦火で焼失していた
  48年 批評家花田清輝らと「夜の会」を結成、前衛芸術運動を始める
  52年 「四次元との対話―縄文土器論」を発表
  54年 ベネチア・ビエンナーレ日本代表に選ばれる。「今日の芸術」(光文社刊)がベストセラーになる
      68年 壁画「明日の神話」制作のため、メキシコにアトリエを構える
  70年 日本万国博覧会(大阪万博)に「太陽の塔」を含むテーマ館が完成。館長を務める
  78年 福山市の日本はきもの博物館中庭に「足あと広場」を制作
  81年 テレビCMに出演、「芸術は爆発だ」が流行語となる
  96年 急性心不全で死去。広島市現代美術館で「岡本太郎展」を開催中だった (川崎市岡本太郎美術館編の図録より作成)

誇り・憤り 燃え上がる

岡本敏子・岡本記念館館長

 「明日の神話」は原爆の炸裂(さくれつ)する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。

 猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃え上がっている。

 悲惨な残酷な瞬間。

 逃げまどう無辜(むこ)の生き物たち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気(けなげ)に力を振り絞っている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながらマグロを引っ張っている。

 中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴き上げながら無限に続いてゆく。その上にさらに襲いかかる禍々(まがまが)しい黒い雲。

 悲劇の世界だ。

 だが、これはただ惨めな、被害者の絵ではない。

 燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧して広がる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。

 にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。

 外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑(こうしょう)している。悲劇に負けていない。

 あの禍々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗(きっこう)する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃え上がる。

 タイトル「明日の神話」は象徴的だ。

 その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに「明日の神話」が生まれるのだ。

 岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない叫びだ。

 二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮(さつりく)、核拡散。ウイルスは不気味に広がり、地球は回復不能な破滅の道に突き進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。

 負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。

おかもと・としこ
 1926年千葉県生まれ。東京女子大卒。48年から岡本太郎の秘書を務め、後に養女として入籍。岡本を公私に支えた。98年開館した岡本太郎記念館の館長に就任。

(2005年1月4日朝刊掲載)

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