被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ 第1部 壁画の誕生 <3> ムラリスモ
05年1月7日
変革の美術 精神吸収
「平和」の矛盾と闘う
メキシコの画壇で、深く敬愛されている長老の日系画家がいる。日本人を父に、メキシコ人を母に生まれたルイス西沢さん(86)。一九六〇年代末、壁画のエキスパートとして岡本太郎に請われ、「明日の神話」の制作を手伝った。
メキシコ市の西にあるトルーカ市にはルイス・ニシザワ美術館が立ち、東京の京成電鉄上野駅にも彼の壁画がある。「明日の神話」の制作には現在、メキシコ南部オアハカ市に住む画家竹田鎮三郎さん(69)ら数人が助手として加わったが、彼らを集める役割も果たした。
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メキシコ市の閑静な住宅街にある自宅に西沢さんを訪ねた。岡本の話になると相好を崩す。「岡本さんはメキシコを全身で楽しんだ。道端のサボテンの果実をトゲも抜かずにかぶりつき、七転八倒したりした」と、思い出し笑いが絶えない。
岡本には壁画用の特殊な絵の具の使い方などを伝授した。「のみ込みが早く、あの大壁画をすごいスピードで仕上げた。しかし何より重要なのは、ムラリスモ(メキシコ壁画運動)の精神を深く理解し、自分のものにしたことだ」 メキシコ壁画運動とは、二十世紀初頭のメキシコ革命のうねりの中で生まれた美術運動。独裁体制の打倒と半植民地的な経済構造の変革を目指した革命の意義を、文字の読めない民衆にも絵によって浸透させることを志した。
オロスコ、リベラ、シケイロスの三大巨匠をはじめ、気鋭の画家が競って壁画に挑んだ。先住民インディオの美的感性を表現に取り込み、そのたくましい生命力は世界に衝撃を与えた。
今もメキシコ市を歩けば、官公庁や学校、劇場など街角の公共建築にたくさんの壁画を見ることができる。西沢さんは「岡本さんは巨匠たちの作品の息吹に現場で触れ、制作の糧にしていた」と語る。
岡本は「明日の神話」の制作当時、まだ現役だったシケイロスと直接の親交も結んでいる。シケイロスは岡本に、商品化した欧米美術への批判を歯に衣(きぬ)着せず語った。「金持ちに買ってもらうための絵、銀行預金のようにしまっておくための芸術に何の意味があるか」。岡本は、わが意を得たり、の思いで聞いていた。
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岡本自身、公共のモニュメントに情熱を注いだ作家であり、芸術の社会的役割を鋭く意識し続けた。七二年にシケイロス展が東京で開かれた時、「日本ではメキシコのような革命もないし、条件が違う」といった観客の反応があったことに、美術誌上で激しい怒りをぶつけている。
「先進国では飢えよりも、生活条件よりも現時点のこの人間的空しさとどう対決するかという、一層深刻で、一段とやっかいな問題でがんじがらめにされている。そこにわれわれの革命があり、その中で芸術がどういう役割を果たすべきかというのは、深い現実的な意味をもっているはずだ。この一見平和な社会、だが底知れない矛盾、空しさのなかで、より強烈に血を流さねばならないのだ」(「みづゑ」七二年八月号より抜粋)
当時の「一見平和な社会」は、米ソ冷戦の危うい均衡の上にあり、今に続く米国の「核の傘」の下にあった。その「底知れない矛盾、空しさ」に、岡本は原爆をテーマにした大壁画で闘いを挑んだのだった。
(2005年1月7日朝刊掲載)