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社説・コラム

天風録 『空襲の証人逝く』

 米軍はわざと風の強そうな日を選び、しかも木造家屋が密集する下町を目標に据えたという。1945年3月10日未明の東京大空襲だ。同じ攻撃なら最大の効果を狙うのが戦争だとしても、一夜にして10万人もの命が奪われた。あまりにひどい▲焼夷(しょうい)弾の炎を逃げ惑った12歳の早乙女勝元さん。体験を基にした児童小説「火の瞳」に「燃えるたてがみの火の馬が、すぐ後ろを追ってくる」といった描写がある。戦後の子たちに空襲をどう伝えるか、工夫を続けた▲1冊が千ページもの大作「東京大空襲・戦災誌」全5巻を編み、民設・民営の「東京大空襲・戦災資料センター」で初代館長を務めた。そうして空襲を語り継ぎ、戦争を告発した作家が90歳の生涯を閉じた▲センターの図録に昨年夏、一文を寄せている。「テレビは興奮気味に五輪を報道している。ただし、私はそう熱心に見ていない」。熱戦が続く国立競技場は、かつて学生たちを戦場へ送り出す壮行会が開かれた地だ。戦争の記憶がますます薄らぐ…▲そうした懸念を振り払うかのように、一文はこう結んである。「私たちは歴史の真実を継承する一人一人になろうではないか」。ずしりと重い遺言になった。

(2022年5月13日朝刊掲載)

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