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連載・特集

被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ 第1部 壁画の誕生 <4> メキシコの風土

思想の最深部で共鳴

「生と死」を鋭く意識

 メキシコ市中心部にある国立人類学博物館は、マヤ、アステカなど古代メキシコの文化遺産を網羅的に収集、展示する。研究者から観光客まで、世界中の人々が訪ねる見所だ。

 太陽神信仰に基づく神殿の復元模型や、壁画、石像、仮面、土偶…。生々しく強烈なエネルギーに満ちた品々を見て回るうち、ふと、岡本太郎の作品を見ているような錯覚に襲われる。メキシコ湾岸に栄えたオルメカ文化の「人頭石」の前に立つと、岡本が制作した大阪万博のシンボル「太陽の塔」の面影がよぎった。

 岡本は「メキシコというのは、なんて怪しからん所だ。何千年も前から断りもなく、私のイミテーションを作っているなんて」と語ったことがある。岡本らしいユーモアだが、この博物館を訪れた後では奇妙なほど実感がわく。

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 戦前のパリ留学時代に文化人類学を学んだ岡本は、世界各地の先住民らが生んだ原始の造形の生命力について深い見識を持ち、共感を熱くしていた。

 一九五二年に発表した「縄文土器論」は、その発露の一つ。以前は美術として省みられなかった複雑奇怪な縄文土器の造形を、「呪術(じゅじゅつ)的意味を帯びて四次元を指向する、いやったらしいほどたくましい美」と独自の視点で評価し、日本美術史の基点を書き換えさせるほどの衝撃を与えた。岡本語録では「芸術は爆発だ」が有名だが、「芸術は呪術だ」も持論だった。

 古代メキシコの造形は、縄文土器と通底する呪術性と生命力が圧倒的だ。岡本とメキシコの風土との共鳴は、思想の最深部で起きていたといえるだろう。岡本の最高傑作といわれる大作がメキシコで生まれた必然性がそこにある。

 岡本が「明日の神話」の中央部に描いた、炎を噴き上げる骸骨(がいこつ)。「核に焼かれる人間」をモチーフにしたこの図も、メキシコと深くかかわっている。

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 メキシコでは十一月一日を「死者の日」と呼び、盛大なお祭り騒ぎをする風習がある。骸骨をかたどった砂糖菓子が店先にあふれ、広場では骸骨人形が踊る。死者を追憶するとともに死をあざ笑い、逆説的に生を祝うのだ。

 骸骨を描いた絵がホテルのロビーを飾ることは日本では考えにくいが、岡本はメキシコをたたえるようにして語っている。「メキシコではいいんだ。生と死が抱き合っているような国なんだ」

 岡本は、生が死と隣り合わせにあることを鋭く意識し、今この一瞬を充実させ「爆発」させることを信条とした。その人生哲学も、メキシコの風土と響き合っていた。

 岡本太郎記念館館長の岡本敏子さん(79)は、「明日の神話」を評して、「原爆に焼かれて燃え上がる骸骨の誇り高い美しさ」を強調する。「まがまがしい破壊の力が炸裂(さくれつ)した瞬間に、それに負けない力強さで人間の誇りが燃え上がる」と。

 被爆の苦しみと悲しみを思う時、誇りや美しさといった言葉には、激しい違和感を覚える人もいるかもしれない。しかし、メキシコの「生と死」の逸話に倣えば、苦しみや悲しみと「抱き合った」誇りや美しさが、核廃絶を訴え続けるヒロシマにはあるのではないか―。

 「明日の神話」はやや挑発的に、そんな問い掛けを発しているように思える。

(2005年1月8日朝刊掲載)

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