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連載・特集

被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ 第1部 壁画の誕生 <6> 再生へ

現物残り倉庫に眠る

日本での展示を計画

 岡本太郎の壁画「明日の神話」が飾られるはずだったホテルを転用したメキシコ市の世界貿易センター(WTC)ビル。その隣に、ポリフォルム・シケイロスという会館がある。ホテルの元オーナー、マニュエル・スワレスが、メキシコ壁画運動の巨匠シケイロスに発注し、十二面ある外壁と半球状のホールの内装をすべて壁画で覆い尽くした空前の殿堂だ。

 スワレスの末子で同館の事業責任者アルフレッド・スワレスさん(56)は「美術館であるとともにコンサートなどにも使う。年間二十―三十万人が訪れる」と胸を張る。しかし、同じく父親が依頼した岡本の壁画について問うと、表情は曇る。「ここに飾ってもよかったが、今となっては…」

 岡本と出会ったころ、飛ぶ鳥も落とす勢いだったスワレスの財閥は、突貫工事で進めたホテル建設が一九六八年のメキシコ五輪に間に合わなかったのを転機に、歯車が狂い始める。

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 最大の商機を逃したホテル建設に銀行の融資が滞り、工事は中断。ロビーに仮設置されていた「明日の神話」は、ベニヤ板に覆われて死蔵された。さらに八二年のメキシコ通貨危機が追い打ちをかける。スワレス財閥は事業継続の体力を失い、建物は人手に渡った。

 「シケイロスの次にはオカモト美術館を造るつもりだ。メキシコに移民してこないか」と持ちかけるほど岡本にほれ込んでいたスワレスは八七年、失意のうちに世を去る。「中南米一のホテル」を夢見たビルは九四年、WTCとして開業。「明日の神話」は取り外され、ビルを買収した建築会社の倉庫に眠る。

 「父から『ヒロシマナガサキ』の名を聞かされ、私自身も感嘆した壁画。現状を残念に思う」とアルフレッドさん。岡本が壁画に託したメッセージは、メキシコでは日の目を見なかった。

 しかし、こうした不運をくぐり抜け、壁画の現物が残ったのも事実だ。

 岡本が五六年、旧東京都庁舎に制作した十一面の連作壁画は、九一年の新宿新都庁への移転に伴って建物ごと取り壊され、がれきと化した。保存運動もあったが、都は「取り外しが困難」と突っぱねた。それに比べるとメキシコの人々は、異国の芸術家の巨大でかさばる壁画を、曲がりなりにも守り通したのだ。

 岡本太郎記念館(東京都港区)を運営する岡本太郎記念現代芸術振興財団は今年、壁画を日本に運んで修復する「『明日の神話』再生プロジェクト」を本格化させる。高さ五・五メートル、幅三十メートルもの壁画の運搬にかかる費用の調達などを進める。

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 館長兼財団理事長の岡本敏子さん(79)は「死蔵され、傷んだ壁画にもう一度命を吹き込み、被爆国日本からメッセージを発信したい」と意気込む。そして、広島を展示の候補地に挙げる。

 広島側にも呼応する動きが出始めている。広島市中区上八丁堀のギャラリーGは、今年四―五月に「明日の神話」の下絵を展示する企画展を開き、誘致の機運を盛り上げる。

 ギャラリーの運営企画実行委員、木村成代さん(42)は「被爆から六十年がたって体験が風化するヒロシマにも、『もう一度命を吹き込む』必要があるように思う。『明日の神話』はそのシンボルになり得る」と期待を強くする。(道面雅量)=第1部おわり

(2005年1月12日朝刊掲載)

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