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連載・特集

被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ 第2部 反戦と反骨 <1> 平和運動との接点

核・戦争 自身の問題に

「原水禁」行事で講演

 「芸術は爆発だ!」と叫ぶテレビCMや娯楽番組への露出で、お笑い的ともいえるイメージが流布した岡本太郎。原爆をテーマに超大作「明日の神話」を描いていたことに、驚きを覚えた人もいるかもしれない。だが、この異才の足跡に少し目を凝らせば、鮮烈な反戦、反骨の思想が見えてくる。(道面雅量)

 古ぼけた一枚の写真がある。撮影の日付は一九五九年八月二日。第五回原水爆禁止世界大会が開かれていた広島市に招かれ、関連の文化行事として、中区胡町にあった中国新聞社のホールで講演した時のスナップだ。

 撮影者は当時、原水爆禁止日本協議会(日本原水協)の事務局員だった山村茂雄さん(72)=東京都目黒区。「岡本さんは、自分自身の問題として核や戦争について考え抜いた人。党派的な発想とは別のところで、積極的に協力してくれた」と振り返る。岡本は、大会の討議資料に第五福竜丸を擬人化したユーモラスな挿絵も寄せている。

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 第五回大会は、翌年に日米安保条約の改定を控えて路線対立が激化、右翼団体の襲撃も頻発して「嵐の中の大会」と呼ばれた。一方で文化人との連携が深まり、ポスターなど教宣物の作製に詩人やデザイナーらがこぞって協力していた。

 大会期間中の八月一―七日、日本原水協の企画で「日本人の記録」と題した美術展が、基町の朝日会館で開かれている。出品者をひもとくと、絵画では岡本のほか、井上長三郎、鶴岡政男、丸木位里・俊、横山操らの名が見える。ほかに版画の棟方志功、彫刻の佐藤忠良、本郷新、写真の植田正治、木村伊兵衛、東松照明、デザインの粟津潔、亀倉雄策…。目を見張る顔ぶれだ。

 岡本は出品者を代表して来場し、合わせて講演にも臨んだのだった。演題は「絵画とドラマ」と記録に残っている。

 岡本は五〇年代、原爆をテーマにした作品を相次いで発表している。同展にも出品された「燃える人」(五五年)や、「死の灰」(五六年)。大田洋子の原爆文学「半人間」(五四年)の表紙も手掛けた。

 その後も、六〇年安保闘争のデモに加わったり、ベトナム反戦の新聞広告をデザインしたりした。「明日の神話」の制作は、そうした思想と行動の延長にあるといえるだろう。

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 山村さんが当時撮った写真にもう一枚、目を引くものがあった。岡本の「燃える人」が壁に掛かる「日本人の記録」展の会場写真。大きな体にステッキとカメラをぶら下げた写真家土門拳の姿がある。

 実は、岡本は親友の土門と連れ立って広島を訪ねたのだった。土門は、前年の五八年に写真集「ヒロシマ」を出版。原爆病院の患者らに徹底的なリアリズムで迫った作品で、同展にも一部を展示した。岡本にとって心強い広島案内人だったろう。土門も中国新聞社ホールで、「写真家の社会的責任」の題で講演している。

 展覧会への出品交渉を担当し、岡本、土門と広島に同行した美術評論家の瀬木慎一さん(73)は、二人の息の合った様子を覚えている。「きれいごとを嫌い、むき出しの本気で闘う芸術家同士。響き合うのは当然でしょう」

 誘い合って広島の夜に繰り出すと、土門のいかつい風ぼうに店内で騒いでいた客がそそくさと席を空け、存分に議論ができたという。

(2005年2月1日朝刊掲載)

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