×

連載・特集

被爆60周年 明日の神話 岡本太郎のヒロシマ 第3部 民族学の視点 <1> 万博から民博へ

科学じゃない。生命力だ

「進歩と調和」疑問視

 絵画、彫刻、著作など広範囲にわたる岡本太郎の仕事には、若き日のパリ留学で修めた民族学(文化人類学)の素養がさまざまに生きている。メキシコで描いた壁画「明日の神話」に結実した彼独特の原爆観を、民族学との影響関係から読み解いてみたい。(道面雅量)

 両腕を広げ、大空にそそり立つ高さ七十メートルのその姿は、今なお鮮烈だ。大阪府吹田市、千里万博記念公園に永久保存されている「太陽の塔」。一九七〇年の日本万国博覧会(大阪万博)のシンボルであり、岡本の代名詞ともいえる作品である。

    ◇

 万博当時、この塔の地階に「過去―根源の世界」と題した展示があった。さまざまな生命の誕生を描く映像のほか、アジア、アフリカ、南北アメリカ、オセアニアなど世界各地から集められた仮面や神像、生活用具など無数の民族資料が、入場者を取り囲んだ。太古から受け継がれた人間の生命力の証しを立てるような空間だった。

 「月の石」を展示したアメリカ館や、有人宇宙飛行一番乗りを誇示したソ連館に比べると、話題性には乏しかったかもしれない。だがそれは、「太陽の塔」を含む一帯の中心施設「テーマ館」のプロデューサーだった岡本が、塔本体と並んで最も思い入れを注いだ展示だった。

 高度経済成長のただ中に開かれた大阪万博は、未来志向の希望に彩られた博覧会だった。テーマは「人類の進歩と調和」。岡本は、まさにそのテーマを背負う職責にあったが、当時の発言や後の回想をひもとくと、そうとは信じがたい言葉が少なくない。

 「科学の進歩が生活を充実させ、人間的・精神的な豊かさを与えうるか、たいへん疑問だ」「人間は進歩していない。調和といってごまかすよりも、純粋に闘い合わねばならない」…。あちこちで「進歩と調和」への違和感を語っている。

    ◇

 岡本は、民族学の素養を背景に、万博を世界に開かれた壮大な「祭り」にしたいと考えていた。先進文明の見本市ではなく、むしろ、文明がもたらした核兵器などの人間疎外にあらがって、人類がその根源的な生命力を再確認する「祭り」の場に。「太陽の塔」と地下展示は、そうした思いの具現化だった。

 民族資料の収集作業には、六八年に発足した「日本万国博覧会世界民族資料調査収集団」が当たった。

 当時、京都大に在籍していた民族学者の梅棹忠夫さん(84)は、東京大教授だった故泉靖一さんとともに、若手研究者約二十人から成る収集団を率いた。千里万博記念公園内に七四年に創設された国立民族学博物館(民博)の初代館長で、現在は顧問を務める。

 「泉さんや私は、万博以前から民博の構想を持っていた。万博は、民博創設のきっかけをつくるチャンスと考え、岡本さんと力を合わせた」。収集団は世界中に散って資料約二千五百点を収集。それらは万博後、民博のコレクションの基礎になる。

 「われわれの構想、岡本さんの民族学の素養と破天荒な個性、万博というタイミングが、すべてかみ合った」。梅棹さんは、当時の熱気と岡本の人となりを懐かしむ。

 岡本は、万博プロジェクトと同時進行で、メキシコを往復して「明日の神話」を描き上げた。「核に負けない人間の誇り」を燃えるがい骨の姿に託したその大作は、文明の重圧に負けない人間の生命力を訴えた「太陽の塔」と地下展示の精神に、響き合っているように思える。

(2005年4月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ