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チャップリン秘書 足跡たどる企画展 広島出身 高野虎市 県立文書館

 喜劇王チャールズ・チャップリンの秘書を務めた広島出身の高野(こうの)虎市(1885~1971年)に焦点を当てた企画展「チャップリンの日本人秘書 高野虎市」が、広島市中区の県立文書館で開かれている。日米交流の懸け橋となった高野の足跡を写真や手紙など計110点で紹介する。

 高野は安佐郡八木村(現安佐南区)の出身。15歳で単身渡米し、31歳の時にチャップリンの運転手となり、信頼を得て5年後に秘書となった。

 「高野はチャップリンと日本の映画人をつないだ。その功績は大きい」と県立文書館研究員の西村晃さん。多くの映画関係者や軍人、政治家らも高野を頼ってチャップリンに面会を果たしている。展示室には映画関係者の礼状が並ぶ。

 映画監督の牛原虚彦(きよひこ)もその一人。高野の仲介で撮影中の映画「サーカス」に参加することができ、「チャップリンの弟子」と呼ばれるようになった。牛原は「チヤプリン様の許であれほど深い勉強をすることが出来ましたこと幾重にも幾重にも深く御礼申し上げます」と丁寧に感謝をつづっている。

 チャップリンは31年に高野とともに世界一周旅行へ出発。最終目的地としていた日本では東京などのほか、広島訪問も予定していたが実現はしなかった。高野の元には来日時の招待を申し出る手紙が多数寄せられた。広島瓦斯(ガス)電軌株式会社(現広島電鉄)の豊島愛明の書簡には「最新式電車及連絡船」で厳島に渡り、外国人向けの宮島ホテルか純日本式の旅館岩惣に泊まるよう勧めている。

 ところが世界旅行を終えた後、高野は仲たがいしてチャップリンの元を去ることになる。その後は日米を行き来しながら事業に取り組むが失敗。連邦捜査局(FBI)にスパイ容疑で逮捕されるなど波乱の後半生を歩んだ。

 展示品はいずれも、晩年の高野と広島で一緒に過ごした女性の親族が2017年に寄贈していた。高野が愛用したトランクやカメラ、懐中時計、財布などもある。西村さんは「高野は多くの日本の映画人をチャップリンに紹介した。高野の活躍は現代の日本映画の発展にもつながっている」と説明する。

 6月11日まで。日曜休館。無料。(里田明美)

(2022年5月19日朝刊掲載)

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