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連載・特集

[2023広島サミット]緊急連載 G7サミットヒロシマへ <中> 被爆者の願い

原爆被害「生の声聞いて」

わがこととして想像を

 「先進国のトップに原爆被害の実態を知ってもらうチャンスだ」。先進7カ国首脳会議(G7サミット)が広島で開催されるとの知らせに、被爆者の山本定男さん(90)=広島市東区=は期待を寄せる。ロシアのウクライナ侵攻で核兵器使用のリスクが高まる中、特に保有国の米国、英国とフランスの首脳には「核兵器がいかに多くの犠牲者を出すかを学んでほしい」と願う。

 山本さんは2016年4月に広島市で開かれたG7外相会合で、国内外のメディア向けの証言を担当した。しかし当日は空席が目立ち、海外メディアの参加はなかった。広島を訪れた外相たちは、被爆証言を聞く機会を設けることもなかった。証言者たちには悔しさの残る会合となった。

下級生が犠牲

 広島二中(現観音高)2年の時、現在の広島駅北側(東区)の東練兵場で被爆しやけどを負った体験などを証言する山本さん。突き動かすのは下級生の死だ。

 当時は1、2年生が毎日交代で市中心部の建物疎開作業に動員されており、1945年8月6日は1年生の番だった。現在の平和記念公園(中区)西側を流れる本川の河岸に集合していた1年生は全員亡くなった。現地に立つ二中の慰霊碑には、1年生323人を含む生徒、教職員計354人の名前が刻まれている。

 「1年生それぞれに何が起きたか、漠然としか理解していなかった」と振り返る。認識が一変したのは69年、二中の1年生を追跡したテレビ報道がきっかけだった。大やけどを負いながら家にたどり着いたり、親を捜し求めて息を引き取ったり―。一人一人の最期に語り尽くせない惨状があったと知った。

 原爆資料館(中区)には現在、二中の生徒を含む亡くなった学徒の焼け焦げた衣服など多くの遺品が展示されている。「遺品を見て、苦しみながら亡くなった子どもの姿をわがこととして想像してほしい」。山本さんは首脳たちが被爆者の「生の声」に触れる機会も求めるが、広島サミットの期間中に被爆証言を聞く時間があるかは不透明だ。松野博一官房長官は23日の記者会見で「今後検討する」と述べるにとどめた。

 外相会合の1カ月後、16年5月に現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ大統領(当時)も、やはり被爆証言を聞くことはなく、原爆資料館の見学は10分と短かった。平和記念公園でのオバマ氏との抱擁が注目された被爆者の森重昭さん(85)=西区=は、G7首脳には原爆被害の実態に丁寧に向き合ってほしいと願う。

対話重ね交流

 森さんは、広島開催には各国首脳が原爆被害を学ぶことだけではない意義があると感じる。森さんは長年、かつての「敵兵」であった被爆死した米兵捕虜たちの調査を続けてきた。肉親の最期が分からず苦しむ遺族との対話も重ね、今も交流が続く。「敵ではなく人間として向き合うことが大切だ。オバマさんとの抱擁も、その延長上にあったのだと思う」と捉える。

 「殺し合うのではなく、助け合うこと。戦争をやめ、核兵器をなくすこと。どうか平和の実現に向けた話し合いを成功させてほしい」。それが広島で開かれるサミットの役割だと信じている。(明知隼二、小林可奈)

(2022年5月25日朝刊掲載)

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