×

連載・特集

[考 fromヒロシマ] 被爆者の資料 どう残す 人生や思い刻む手紙・メモ… 本人の死後に散逸危機

 証言や平和活動を続けてきた被爆者が高齢化し、訃報が相次ぐ中、本人が残した資料の保存が課題になっている。公的な収集体制が乏しく、特に散逸が危ぶまれているのが、被爆後の人生や思いを刻む手紙やメモといった文書資料だ。整理を進める市民や専門家は、広島市、広島県、国が連携して保存の指針づくりや収蔵場所の確保を進め、官民で資料を残す取り組みが急務だと指摘している。(編集委員・水川恭輔)

乏しい保存体制 官民での対策急務

 平和活動に取り組むNPO法人ANT―Hiroshimaがある広島市中区のビルの一室。被爆者の岡田恵美子さんが東区の自宅に置いていた資料を収めた段ボールが所狭しと積み上がる。その数20個以上。文書と写真を合わせ、数千点は下らないという。

 岡田さんは8歳の時に原爆で姉を奪われ、自身も爆心地から2・8キロの自宅で被爆した。国内外で体験証言や平和活動を続け、昨年4月に84歳で亡くなった。交流が深かった同法人は遺族から資料を預かり、公的施設での保存を見据えて目録作りを進めている。

 作業は国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(中区)の元館長の叶(かのう)真幹さん(67)=西区=が、ボランティアで進めている。「8月6日の後、どんな人生を歩まれたか。証言の背景にどんな思いや活動があったのか。資料を読むと、浮き彫りになります」

 岡田さんは生前、核兵器廃絶を訴えて積極的に行動した。資料には、2008年の主要国(当時G8)首脳会議(北海道洞爺湖サミット)の前、来日する7カ国の首脳に被爆地訪問を求めた英文の手紙も残る。

 7カ国には、核兵器を持つ米国、英国、フランス、14年にウクライナ南部のクリミアを強制編入してサミットから排除されるロシアが含まれた。「恐ろしい兵器が二度と使われないよう広島で直接見聞きしてほしい」―。ウクライナ侵攻を始めたロシアが核使用を示唆し、来年には初の広島サミットが予定される中、文面は今も切実に響く。

 入院していた昨年1月ごろに「原爆で黒こげになった人間」「核兵器禁止条約の批准」などとつづったメモ、スケジュール帳…。生前の思いや活動を刻む資料はほかにも多岐にわたる。

 「岡田さんの足跡を伝えるために一括して残せる施設があれば」と叶さん。ただ、適当な施設を見いだせていない。原爆資料館(中区)の中心的な収集対象は被爆直後の犠牲者の遺品や惨状の写真、祈念館は遺影と被爆体験記。両館とも資料が増え、保管場所にそれほど余裕はないという。比較的近年の文書も受け入れている資料館の情報資料室の所蔵庫は満床に近い。

 叶さんは、関係機関が被爆者の資料の保存を共通課題と捉え、国の財政支援も得て対策を進める必要があると考えている。高齢化や死去に伴って貴重な資料の収集・保存が急がれるケースは相次いでいるからだ。

 広島一中(現中区の国泰寺高)1年で被爆し、一昨年に88歳で死去した児玉光雄さんの資料もそうだ。生前はがんの手術を繰り返しながら証言を続け、被爆して同じくがんに襲われた同級生たちの半生も調べた。妻淑子さん(84)が南区の自宅に資料を残している。

 証言の手書きの原稿、一中の同級生の遺族への手紙…。淑子さんは、資料の整理や寄贈の相談先に迷っている。「役に立つものがあるのなら、ぜひ使ってほしいんです。でも私にはどう整理していいのか…」

 被爆者健康手帳所持者の平均年齢は昨年3月末で83・94歳。被爆者から証言を聴くことが年々難しくなる中、資料の役割は増す。未来の「被爆者なき時代」に被爆者一人一人の苦難の人生や平和の願いを伝えるためには今できるだけ多くの資料を守ることが欠かせない。対策は待ったなしだ。

収蔵場所や人手不足 課題 専門家「拠点整備を」

 被爆者が残した資料の保存対策を求める声は、研究者からも相次いでいる。

 「原爆被害に関わる『地域資料』の文書の収集が弱い」。原爆資料館の元学芸員の広島市立大広島平和研究所の四條知恵准教授は、広島の資料保存の課題をこうみる。地域資料とは、公文書以外の文書を幅広く指す。被爆者や研究者個人、平和活動を続けてきた市民団体などの文書資料だ。

 四條さんは昨年、資料館と広島県、市の公文書館の職員に聞き取り調査。資料館は遺品や写真の展示機能が中心で、各公文書館は行政文書や幅広い時代の歴史資料を収蔵する中、いずれも原爆関係の地域資料の収集に積極的とはいえないと論文で指摘した。背景に、収蔵スペースの狭さや整理の人手不足もあったという。

 「文書資料は原爆被害を多角的に知る足場だ。まずは関係機関の連携強化と、地域資料を積極的に収集、保存していく戦略的な指針が求められる」と話す。

 また、現在は各館に点在する文書を横断的に調べられる仕組みがなく、市民や研究者は探している資料を見つけにくい。寄贈を考える人の相談窓口もはっきりしていない。それだけに、文書保存が専門の広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の久保田明子助教は、原爆関係文書の保存・公開の拠点施設「原爆アーカイブズ(文書館)」の整備が必要だと訴える。

 「世界が核被害の実態に向き合うために日本が果たせる重要な役割だ。海外の研究者からも整備の期待をよく聞く」と久保田さん。市、県、国が連携し、被爆者や市民の声を聞きながら検討してほしいと話す。広さや被爆建物の点を踏まえて県が3棟、国が1棟を持つ旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)の一部活用を提案する。

 資料館の設置者である市も文書資料の保存を課題と考えている。市平和推進課は「収蔵場所に加え、収集対象の範囲や個人情報を含む場合の扱いなどの課題もある。今後、将来的な在り方を検討したい」とする。

(2022年5月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ