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連載・特集

緑地帯 村上満志 バス弾きのつぶやき⑤

 広島交響楽団のお話をさせていただく。

 1971年に東京芸大に入学したあと、プロオーケストラに移行する熱気がみなぎる広響で当時の仲間と度々演奏会をご一緒した。その後も私が広響とのつながりを持てたのは私が広島出身ということもあったが、昨年7月に多くの人に惜しまれて亡くなった徳原正法さんの存在なくしては語れない。

 私よりも一回り年下で、同じく宇品中学校卒業の彼は、彼がコントラバスを弾き始めた頃からのお付き合いだった。彼が京都芸大の入試準備のために私のいる東京まで足を運び、一緒に勉強した。京都芸大卒業後は千葉県船橋市にあった拙宅の近くに下宿を探し、広響入団までの半年間、2人でコントラバスと向き合った。今振り返れば彼も大変だったと思うが、受け止める私も必死だった。1984年秋、彼が広響の入団試験に合格した時は、大きな喜びを分かち合った。

 彼の広響入団後、当時の広響コントラバス仲間とはオーケストラの活動だけではなく、コントラバス・アンサンブルの演奏会も度々行うことで、それなりに広響コントラバスの響きを作れたと自負している。91年のウィーン・プラハ公演、97年のノルマンディー(フランス)公演にも参加させていただき、広響の発展を肌で感じていた。

 当時、東京都交響楽団に籍は置いていたが、広響と都響、二つのオーケストラの変遷と発展を共有できたことに感謝している。(東京混声合唱団参与=広島市出身)

(2022年6月4日朝刊掲載)

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