×

連載・特集

緑地帯 丸古玲子 呉本こぼれ話②

 焦りや怒りとも言い換えられる熱に浮かされふるさと探究を始めたが、やればやるほど、呉とは深みにハマる町。一つ知れば、もう一つ知りたくなる。一つ知るたび、そうなった理由を知らないわけにいかないし、関わった人々に耳を傾けその想(おも)いに至りたい。

 定説だとされることの覆りも呉は多い。例えば地名の語源。九つの嶺に囲まれているから「九嶺(きゅうれい)」がなまって「くれ」になったというのは、どうやら明治時代に呉へとやってきた海軍が言い出したことだそうな。他に、造船に適する「榑(くれ)」の木材がよく採れたからという別説も。へえ。私は榑説に説得力を感じた。

 しかし、話はそう簡単ではなかった。2022年発刊「呉本に~自分と郷土史の浅からぬ縁。無くしたくないふるさとの声たち」では呉市広町も探究したが、そこで取材した方から「朝鮮半島を発端とする呉の語源説」を聞いたのだ。呉の古代史をたどれば日本の古代史になるという壮大なスケール。さらに、「呉の畑(はた)の祖は秦(はた)氏」との新説も伺い、上畑町生まれの私は、「うちも末裔(まつえい)だったりして」とワクワク。日本(=郷土)の歴史は決して他人事ではない。いまここにいる自分も繋(つな)がっていると実感できた一例だ。

 ふるさとを知る、とは、こういうことなのだろうと思った。自分と郷土には浅からぬ縁があり、ルーツをたどれば物語に触れられる。

 入船山記念館に「呉浦の風景」という絵がある。低い山々がどてらを着込んでどっしり胡坐(あぐら)をかいているかに私には見える。この絵ばかりは九嶺説も好し、と。(ライター=呉市出身)

(2022年6月11日朝刊掲載)

年別アーカイブ