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連載・特集

核兵器禁止条約 締約国会議を前に <3> 日本被団協代表理事 家島昌志さん(80)

そっぽ向く政府 歯がゆい

被爆者の思い受け止めて

 3歳だった私は牛田町(現広島市東区)の自宅で、玄関先の土間で遊んでいた時に被爆した。当時、自宅にいたのは、私と父母と妹の4人。私と父、妹に大きなけがはなかったが、母は爆風で吹き飛んだガラスが体中に突き刺さり、ハリネズミのようになった。

 母にとってはトラウマ(心的外傷)になったのだろう。「二度と思い出したくない」と、93歳で亡くなるまで被爆体験を語らなかった。まだ幼く、当時の記憶がほとんどない私のあの日は、父の証言を基にたどってきた。

 一方、父は被爆から24年後、59歳の若さで上顎がんで亡くなった。放射線の影響と疑わざるを得ない。私自身も「病気のデパート」のような体で、副甲状腺腫瘍、甲状腺がんなどに襲われ続けてきた。

  ≪21日から始まる核兵器禁止条約第1回締約国会議に合わせ、日本被団協から開催地のオーストリア・ウィーンに派遣される。≫
 核兵器は多くの人を殺し、心身ともに長年にわたって苦しめる。こんな非人道的な兵器と人類は共存できず、廃絶しか道はない。このことを世界中の人に認識してもらうため、現地で強く訴えたい。

 老体だが、高齢化している被爆者の中では若い。老骨にむち打って被爆者運動を続けてきた先輩たちの思いに応えたい。核兵器が残る世界を後世に引き継がないためにも、黙っているわけにはいかない。

 ≪被爆国の日本は条約を批准せず、締約国会議へのオブザーバー参加も見送った。≫
 被爆国でありながら、条約にそっぽを向き続ける政府の姿勢は、被爆者として非常に歯がゆい。条約ができた時「私たちの長年の運動が、やっと見通しの良い峠に差しかかった」と、展望が開けたような思いだった。なのに政府は米国との関係などを優先し、被爆者と国際社会の期待に応えていない。

 第1回締約国会議には、欧米の「核同盟」の北大西洋条約機構(NATO)加盟国のドイツとノルウェーもオブザーバー参加する。被爆国の日本も参加するべきだ。政府が掲げる保有国と非保有国の「橋渡し役」を果たすためには、保有国だけでなく、非保有国の意見を聞く必要もあるのだから。

 ≪日本被団協は5月、岸田文雄首相(広島1区)に禁止条約の署名・批准を求める90万筆を超える署名を外務省に提出。締約国会議へのオブザーバー参加も改めて求めた。≫
 署名は被爆者を含む多くの人の思いを結集したものだ。1時間立つことさえ体にこたえる被爆者たちが街頭で協力を呼びかけるなどし、必死で集めてきた。岸田首相は常々、自ら「広島出身」と言っている。ならば、私たちの思い、行動をもっとしっかりと受け止めてほしい。被爆者に残された時間は、もう多くない。被爆地選出の首相には、これまでの首相とは違う一歩を踏み出してほしい。(小林可奈)

不参加 落胆と怒り

 核兵器の開発や実験、保有、使用、使用するとの威嚇などを全面的に禁止する核兵器禁止条約の制定は被爆者の悲願だった。

 被爆者は、2017年に米ニューヨークの国連本部であった条約の交渉会議をはじめ、国内外の会合で被爆の実態を証言。核兵器は非人道兵器という社会規範を広げようと心血を注いできた。その思いに呼応し、条約は前文に「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」と記している。

 条約は21年1月に発効した。核兵器廃絶に向けた転機になると被爆者は喜んだ。一方で、米国の「核の傘」に頼る日本政府が不参加の姿勢を貫いたことに落胆と怒りが広がった。

 日本被団協は発効を機に、条約への署名・批准を求める署名を各地で募り、今年5月には90万1554筆を外務省に提出した。全ての国に条約への参加を求める「ヒバクシャ国際署名」も協力団体と進め、1370万2345筆を21年1月に国連へ提出している。オーストリアである第1回締約国会議には、木戸季市事務局長(82)と家島昌志代表理事を派遣する。(久保田剛)

(2022年6月17日朝刊掲載)

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